小説

『アリとキリギリス』鷹村仁(『アリとキリギリス』)

 今日若い社員が会社をやめた。そいつは会社を去る前に「お世話になりました」と社内に挨拶して回った。当然私にも挨拶してきた。「頑張ってな」と声をかけ、その社員は「はい、ありがとうございます!」そう言って、また違う所に行ってしまった。
「また辞めちゃうんですね。」
 隣のデスクの社員がため息をつきながら話しかけてくる。
「あいついくつだっけ?」
「26です。」
 私は呆れたように苦笑する。
「なんでこうもすぐ辞めちゃうんだろうな。何か理由でもあんの?」
「なんか俳優になりたいみたいですよ。」
「俳優?」
 またも苦笑してしまった。
「何考えてんだ。無理だろ。」
「でもどうしてもやりたかったみたいですよ。今やらないと後悔するって。」
「退職した方を後悔すると思うけどな。」
「どうします?奈良橋さんの息子さんが『俳優になりたい』って言ったら。」
「やめてくれよ。ダメに決まってるだろ。」
 そう言って、また仕事に戻った。
 所詮他人なのだ、どこでなにをしようが勝手だ。ただ私はそういった、「夢を追いかける」的な理由で辞めていくやつを軽蔑し馬鹿にしている。単なる現実逃避にしか聞こえない。生きる事はコツコツ働いて、堅実に生きることだ。「楽しい事を仕事に」なんてぬかしている連中はきっと後で後悔する。

 小さい頃『アリとキリギリス』の話が好きだった。暑い夏にしっかり未来を見据えてせっせと働くアリ、その逆に今が楽しければいいと考えて好きなヴァイオリンばかり弾いていたキリギリス。そして冬が来た時にしっかり働かなかったキリギリスは空腹で苦しみ、最後にはアリに助けを求めた。
 これが人生なのだ。しっかり真面目に働いているものが最後には報われる。小さい頃から今までそう信じて生きてきた。

「奈良橋、ちょっといいか。」

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