小説

『青い空の下で君と』霜月りつ(『千夜一夜物語』)

「どうしてそんなに……優しいの……? 私たちはお前をたった一人で宇宙に放り出そうとしているのに」
「俺は……帰ってくる」
「───」
 トーマの言葉にミチコは顔を上げた。涙が頬を濡らしている。トーマは指でその涙を拭うふりをした。
「夢物語だがな……この宇宙のどこかに、きっと進んだ文明を持つ星がある。俺はそこに辿り着き、地球に戻ってくる。人間になって……ミチコのところに……」
「トーマ……」
 そんなことを一番信じていないのは、トーマ自身だということはミチコにもわかっていた。
「ごめん……トーマ……ごめんなさい」
「ミチコ……」
 ふっと太陽がかげった。草原も、青空も消えていた。『部屋』は『部屋』に戻り、そこにはコードやシステムに囲まれた『TOM−A』と、映像のトーマだけが残されていた。
「トーマ」
「もう、こんなお遊びはやめる」
「───」
「これが俺だ。超大規模集積回路の固まりで、金属とプラスチックとセラミックに包まれている。人間の指先のスイッチひとつで俺は眠り、起き、考える」
 トーマの映像は『TOM−A』の表面に触れた。
「固定記憶の操作でミチコに関する記憶を抜くことだってできる」
「トーマ……」
「もちろん、そんなことしないけどな」
 トーマは笑った。泣き笑いのようだった。
「さよならだ、ミチコ。これ以上俺の前にいないでくれ。つらい……からな」
「……トーマ、ひとつだけ教えて」
 ミチコはトーマと『TOM−A』に近づいた。
「感情を持ったことを……後悔しているの?」
「……」
 トーマの姿が少しずつ薄れ始めた。『TOM−A』に重なって、吸い込まれるように。
「後悔はしてないよ」
 それでも声だけははっきりと発せられる。
「後悔なんかしてない。ミチコを好きになったんだから」
「トーマ」
 ミチコは腕を広げて『TOM−A』とトーマを抱き締めた。冷たい金属の壁の感触を、身体全体で感じた。
「お前のこと、忘れない。必ず戻ってきてちょうだい、地球に、私のところに……」
「ミチコ……」
 透き通ったトーマの映像は、ミチコの腕の中で一度目を見開き、やがてそっとその夜の瞳をまぶたの下へ閉ざした。
「ああ……帰ってくるよ……ミチコ」

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