小説

『白い犬』柴垣いろ葉(『山月記』)

 なるほど、と思わず唸ってしまった。
 先ほど買い物から帰ってきて、少し部屋の空気を入れ替えようと窓を開けたら、別れた彼からもらってベランダにそのままにしてあった植木の茎がぽっきり折れてしまっていたのが目に入ったのである。その植木を見て私が妙に納得してしまったのは、きっとその時なんとなく彼の事を思い出して苛立っていた矢先の出来事であったからだろう。そしてそれを見て動揺した私の口から、なるほどと納得の言葉が、ある意味私を落ち着かせるために滑り出てきてしまったに違いない。などと自分の言動をあわてて理屈付けたところで、もう一度冷静にもらった植木に目をやると、折れ曲がった茎のところに何かもさもさとうごめく芋虫が見えたのだった。なるほど!さっきよりも大きめの声が出た。今度は言語と思考がうまくマッチしている。この芋虫の重さで茎がやられてしまったというわけだ。それにしても、この芋虫はどこからやってきたのだろう。もともと卵がくっついていたのだろうか。そういえば、別れた彼もこんな調子で少し太っていて、怒ると口をもごもごさせてしゃべるところなんて、なんだか芋虫みたいな奴だったなどと思い返していたらだんだん彼が今どうしているのかが気になり仕方なくなってきて、SNSでも見てやろうかなんて意地悪な考えが頭をよぎったが、折れ曲がった植木の葉を何にも知らない顔で食べ続ける彼に似たその芋虫をしばらく見ていたら、なんだか気がすんでしまって、ベランダの窓をぴしゃりと閉めると夕食の支度へと取り掛かった。
 考えてみると、腑に落ちるほどの納得の数というものは案外少ない。
 毎日さまざまな事がある中で、私たちはその出来事一つ一つを一気に受け入れ、まるで流れ作業のように気持ちを処理しながら生きている。いくつかの納得が重なったからこそ了解へとつながって行くはずなのに、次から次へと出来事が流れてくるそのベルトコンベアーの上では納得の入り込む時間も隙も与えてはくれない。
 そして今もこうして私は今日あった出来事を回想しようとしながらも、夕食の味噌汁をつくり鮭を焼いているうちにそれらはすべて思考にも記憶にもなり切れない頭の中の塵となって消えていってしまうにであった。

 私はSNSをやっていない。
 彼はいそいそとツイッターだのFacebookだの何かとマメに更新しているようだった。きっと名前などで調べてみれば今彼がどうしているのかを一発で見ることができるのだろう。私の悪口でも書いているのかもしれない。私は暗い部屋のベットの中で、スマホの画面の光に照らされながら彼の事を調べてみようかどうか悩んだ。しかし、やはりそれはなんだかものすごく意地の悪いことのように思われて私はスマホから手を離した。
 第一SNSの何が面白いのだろう。全く理解できない私はもういっそスマホなんてやめてしまって、昔懐かしのガラケーに戻してしまおうか、どうせlineかメールしかしないのだからなんて現代社会に喧嘩を売るようなことを考えているうちにいつの間にか眠りについていた。

 今日もいつものようにスーツ販売の仕事をしていると、レジが少しもたつくだけで、早くしろと目を血走らせる人をいる。「すみません」と言いながらもその見開かれた目やあがった息などを冷静に見ていると、怒っているというよりは何かに怯えているようにも見えてくるのだった。みな、現代の時間の速さについていくのに必死なのだろう。そんなお客を見ていると、スーツを売っているはずなのにこの現代社会という波の中でもっと早く泳ぐための競技用水着かビート版でも売っているような気分になってくるものだから笑える。周りの従業員たちは売り上げのことしか考えておらず話にならない。早く結婚して辞めたいなあ。悲しくもそれが平凡な私の本音であった。

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