小説

『裏島太郎』木暮耕太郎(『浦島太郎』)

「おい、おっさん。おっさん!大丈夫か!?」
 青年は砂浜に半裸で横たわっている中年の男の体を揺さぶった。

 季節は10月下旬。青年は戦績の上がらないプロ格闘家で、日課である早朝の走り込みを行っていた。来月の頭に行われる計量をパスして、年末に全国ネットで中継される格闘技イベントで、毎年主催者の期待通りトーナメントで大番狂わせを起している「ダークホース枠」の出場切符を勝ち取りたいと思っていた。

 メディアに出れば、名声を得れば。きっと今の暮らしも周りの評価も変わるだろう。

 正直なところ青年は自分自身の生活レベルと自己肯定感の低さに辟易としていた。なんとしても格闘技だけで飯を食って、いい女を抱きまくってやる。極めて純粋で単純だが、最も本能に近く強い欲求のみが厳しいトレーニングのモチベーションになっていた。

 計量まであと10日を切っている。毎回、減量のラスト10日は地獄のようであった。
 朝起床した際には体は石のように重い。かといって泥のように眠れるわけではなく、空腹で目が覚めてしまう。じっとしていることの方が辛く、走っている間はまだ気が紛れる。そうしてまだ空が薄暗い中、国道沿いを走っていた。その最中である、彼が中年を見つけたのは。

 もう夜中に泥酔して寝そべるには過酷な気温である。
 中年は見るからに水分を失っていた。青年は少し先の自販機まで走り、手持ちの小銭で水を買って中年の口にそっと流し込んだ。

(ゲッホ、ゲホ)
「おっさん!大丈夫か!?」

 横たわった中年は意識を戻し、うつろな視線で何かをぶつぶつとつぶやいた。

「え?なに言ってんだ?」
 中年は手で発言を遮るジェスチャーをした。

「声がでけぇ。頭に響く、ちゃんと聞こえてるから」
 中年はしゃがれた言葉を発した後、さも自分が言ったことが一級のギャグだったかのように爆笑しだした。(なんだこいつ、頭がイカれているのか・・・?)青年は面倒なことになる前にさっさと立ち去ろうと思い、立ち上がった。

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