小説

『父の宝』平大典(『ヘンデルとグレーテル』)

「いやあ、葬式ってこんなんきついんだね。いや、マジで」武志はガラスのビールを飲み干すと、間髪入れずに巻き寿司を口に放り込む。「みんな、ぺちゃくちゃお喋りしやがってさ」
「あんまり手伝ってやれず、すまんな」俺は空のグラスにビールを注いだ。
「そんなもん要らんし」武志は、琥珀色のビールで満たされたガラスを睨む。「俺だって今日くらいは、酒も飲み過ぎちゃまずい。ま、恭平さんだって、前に出てきづらいじゃない」
 武志は悪びれもなく、思ったことを口にするタイプだ。「……俺が息子ですとは大きな声じゃ言えねえわ」
「ところで、恭平さんって親父から聞いているの?」
「……宝のことか」
 即答すると、武志の眼が泳いだ。図星だろう。
「恭平さんまでに話したってことは本当なのかな? 俺はてっきりいつもの法螺話かと思って、聞き流していたんだけどなァ」
 話を確認したが、親父は武志にも詳細は話していない様子だった。
「病床で妄想していたかもしれんな。脳味噌がおかしくなったとかで」
「恭平さん、元からいかれていたよ、あの人」
「だな」
「まあ、俺も調べるけどさ、恭平さんも何かわかったら教えてよ」武志は携帯電話を取り出した。「そういや、連絡先を交換しておこうぜ」
 俺はちょっとだけ驚いた。顔を合わせることはあったので、てっきり連絡先を交換していると思い込んでいた。
 武志や親父たちが住んでいた家は、俺の家から隣町にある。
 俺の家からは二キロくらいの距離だ。
 街へ出かければ、武志とも顔を合わせることがたまにあった。お互いに軽く挨拶する程度で、食事をすることはなかったが。

***

 小学一年生にとって、二キロは相当長く感じる距離だ。
 夏休みで、母親が惣菜屋のパートに出かけていた時だった。母親はすっかり元気がなく、家の日常は冷蔵庫のように冷えて静かだった。
 ふと、親父と楓さんが住んでいる家まで、行きたくなった。会えば、元に戻るかもしれない。俺とはあまり会話がなかったとはいえ、親父がいれば、母親も元気になる。元気になれば、母親も俺にも優しくしてくれるんだ、と淡い期待を抱いていた。
 親父の新居までの道のりは知っていた。母親に一度自動車に乗せられて、離婚の話し合いに行ったからだ。母親が俺を連れて行った理由は、単純だ。親父に俺の姿を見せて、同情を誘いたかったのだ。楓さんにも自分こそが妻なんだと見せつけられる。ただ、両親の話し合いの場に楓さんはいなかった。親父が同席させなかったのだろう。

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