小説

『父の宝』平大典(『ヘンデルとグレーテル』)

 親父がパチンコ屋で知り合った女と浮気して出て行ったというのは、三日後に知った。登校中に、年上の三年生の男子が、教えてくれた。
『お前のお父さん、女の人とうわきして出て行っちゃったんだってな、だいじょうぶかよ』
 彼に悪意はなかったと思う。
 家に帰って、俺は母親に『うわき』って何のことと質問したが、すぐに後悔した。母親は半狂乱状態になり、地面に伏せて泣き始めた。俺も怖くなって泣いていた。母の周りを歩き回り、背中を摩ったり、声を掛けたりしたが、母親は一時間以上喚いていた。
 俺は父親がいなくなったと自覚して悲しかったが、それ以上困ることはなかった。日ごろから、親父と会話したり遊んだりしていたわけではなかった。会話があるのは、近所の自動販売機に煙草を買いにおつかいに行かされるときだけだった。
 俺の役割は、その程度だったと思う。
 自分の遺伝子がこびりついた小さい子ども。
 親父は、家から出て行って、煙草を買いに行かせられる小間使いを一人失っただけだ。
 二週間ほどして、母親は忌々しい様子で俺に告げた。
『あんたに弟が出来たんだってさ』

 ***

 親父の告別式は、死んで二日後に開かれた。
 喪主は現在の妻である楓さんが勤め、式には親類がぞろぞろと出てきていた。俺の母親は既に死去しているので、母親の親類は初めて会う人が大半だったが、出席者が親父の死を悲しんでいるとはお世辞にも言えなかった。俺も同じだ。日本酒を少し口に含んだだけで、各々が親父の悪口を口にしていた。
『建設現場の仕事で、あっちゃこっちゃ、いっとったんだろ。ふらふらしてよ。借金とかもあるんじゃねえの』
『あいつの顔見るの、久しぶり過ぎて。俺の親父が死んだときも、顔も出しやしねえ。しかし、息子たちもまあ、似ている気もするな』
『前の奥さんも癌かなんかで、早く亡くなっちゃったんでしょ。気苦労も多かったんじゃないの』
 悪く言われるのは覚悟していたが、それよりも、自分が親父について、あまり知っていることが少ないのに改めて気が付いた。
 話すこともなくて、隅の席で少しずつ寿司を食べていると、「恭平さん」と声が掛かる。
 顔を上げると、喪服姿の武志が座っていた。
 武志は、七歳下の弟だ。つまり、親父がパチンコ屋で知り合った楓さんの息子、腹違いの弟となる。
 いつもの茶髪を黒に染め直してはいたが、耳には銀色のピアスが付けてあった。歯を見せて笑っている表情は柔らかく、二〇代半ばのはずなのに、やんちゃな高校生にも見えた。
「武志、久しぶりだな」

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