小説

『終活に忙しいのです』サクラギコウ(『死ぬなら、今』)

だが善行というのはどうやったらいいのか分からない。今まで人に喜ばれることを何一つしてこなかったのだから仕方がない。
 純一郎は考えた末に、自殺に追いやってしまった男の遺族を探してみようと考えた。金を貸しても返さないので返済を強く迫った。追い詰められた男は死を選んだ。遺族は家を追われ行方が分からなくなった。確か小学生の子どもが2人いた。母と子のその後の生活が気になった。
 探偵社に依頼し捜し出してもらった。遺族は債権者に見つからないよう、びくびくしながら暮らしていた。純一郎は2千万の現金を用意し紙袋に詰めた。鼠小僧のように窓から投げ入れようかと思ったが、相手が誰だかわからないのも困る。地獄の閻魔様の耳に届かないともっと困る。
「以前金貸しをしてた者だが」と言って、現金の袋を差し出した。遺族は何か裏があるのではないかと騒ぎだし、棒で殴られ追いかけまわされた。善行も楽ではなかった。
 だがあしながおじさん育英会への寄付はスムーズにいった。それからは慈善団体への寄付をし続けた。

 タイムメリットもあと1か月と迫ったころ、順調に減り続けていた貯金の底も見え始めた。その頃になると息子たちに知れることになった。
 3人の息子たちが集まってきた。今まで、無駄なことに金を使うなと言い続けてきた。さぞかし反対されるだろうと気がまえた。
 だが息子たちは、父親が爪に灯をともすように貯めたお金をどう使おうとかまわない、と理解のあるところを見せる。
 純一郎は三途の川原とお花畑の話をした。船頭に追い返されて地獄行きだと告げられたと打ち明ける。長男が「地獄行きでは可哀そうだ」と言う。次男三男も揃って頷いた。ところが三男が「そんなことで、天国へ行けるのか?」と言ったことから、話は妙な方向へと向かっていった。
 善行というのはお金をくれてやることではない。真の善行は見返りを求めない善意の行為をいう、ということになった。
 純一郎の望んだ豪華な葬儀も異論が出た。今まで冠婚葬祭の付き合いはしてこなかった。通夜や葬儀に線香を上げに行くことはあっても、香典は持って行かなかった。そんなことを長い間してきたのだ。「親父の葬儀に人が集まることはない」というのが息子たちの一致した意見だった。葬儀の費用に金を掛けるのは無駄で愚かな行為だということになった。純一郎もだんだんその通りだと思うようになていった。
 それからはボランティアに明け暮れることになった。東に災害があったと聞けば、駆けつける。西に不幸があったと聞けば、駆けつけた。行った先で感謝され続け1か月はあっという間に過ぎていった。

 いよいよその時が迫ってきた。息子たちにお棺の中には300万を必ず入れて欲しいと札束を渡してある。三途の川原の渡し賃だ。さあこれで良し。いつお呼びがかかっても大丈夫だ。「死ぬなら、今だ」
 善行を重ねたから天国行きは間違いない。船頭のいう三途の川原の渡し賃が300万とは阿漕にもほどがあるがこれだけは最期の贅沢だ。
 何度も頼んでおいたので必ずややってくれるだろうと思ったが、念のため息子たちに聞いてみる。
「必ずお棺のなかに入れてあげるから」

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