小説

『夏目クリスティの嘘』佐藤邦彦(『あさましきもの』)

 勝呂と名乗った男性編集者はピョンとテービルの上に跳び乗ると、顔より大きく口を開き、平田淳子を指差し喚き始めた。
 「素晴らしい!実に、まったく、とてつもなく素晴らしい作品です。質の良い純文学でもあり、次はどーなる、次はどーなると心わくわくさせるミステリーでもあります。良い酒が水に似るが如く、上質な文学はミステリーに似るのです。いや、素晴らしい。それにひきかえ」と、淳子の隣に座る女性を今度は指差す。確か鶴田知美とさっき自己紹介していたはずだ。「それにひきかえ、なんなのだこれは!」ここで高々と右足を上げ、四股でも踏むが如くにテーブルをドスンと大きな音を立てて踏みしめ、手に持ったプリントの束を放り投げる。「なんなのだこれは!てにをはも滅茶苦茶なら誤字脱字だらけ。おまけに内容は意味不明ときている」と詰ったかと思うと、急にしゃがみこんで鶴田知美の眼前に脂ぎった己が顔を近づけ、「しかぁ~しっ、しかしである。しかしながらあなたのルックスは素晴らしい!実に素晴らしい。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、そしてお頭(つむ)は花畑ときたものである。いや、お頭はともかくとして、実に美しい。それに比べて」と今度は淳子に顔を寄せ、「なんなのだ!その顔は。それが顔か?成程。目もあれば鼻に口もあるから顔なのではあろう。しかぁ~しっ、しかしである。そんなものはチュパカブラでも持っているのであ~る。自慢にはならないのである。貴様はUMAであるか」と実際にはこんな気が違った様な事を編集者が言ったり、したりする訳はなく、これらは編集者の語った内容を淳子が脳内で再構築したものである。現実の出来事を印象的に記憶に留めたり、よりよく理解する為だったり、または――これが一番の理由なのだが――単に面白いからという理由で淳子がよくする脳内劇という遊びの一種である。
 現実の勝呂編集者は能面ではあるものの実に紳士的な物腰の人物であったし、読んではいないが、いくらなんでも鶴田知美の応募した小説がそこまで酷いとは実際淳子も思ってはいず、淳子の容姿とて、鶴田知美には適わないものの、十人並み以上ではあると自負している。あくまで淳子が現実をデフォルメした劇を脳内に創り出しているに過ぎない。
 ここで一旦今この場の状況を説明すると、勝呂の勤務する出版社が新設した小説家になる為の新人賞に応募した平田淳子と鶴田知美が呼び出され、応接室で担当者である勝呂から説明を受けているところなのである。何故説明が必要なのか?それは今回の新人賞が普通の新人賞とは狙いが違うからである。どう違うのか。募集されたのはアイドル小説家なのである。応募の際には小説の他にバストアップと全身の写真も必要な、そんな賞であった。
 その賞へもっとも素晴らしい小説を送ったのが淳子であり、もっとも魅力ある写真を送ったのが知美だったのである。
 「そこでなのですが――この、『そこでなのですが』の前までの勝呂の台詞が先程までの脳内劇のあらましである――表向きには鶴田さんが執筆したという事にし、実際には平田さんが書いた小説を出版したいのです。こうすれば話題にもなり小説も作家も必ず売れます。デビュー後も各メディアには鶴田さんが露出し、平田さんには創作活動に専念してほしいのです。如何でしょう?」
 と二人に説明及び相談及び要請をしているところであった。

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