小説

『Steal this album』澤ノブワレ(『耳無し芳一』)

 通称モトコーと呼ばれるその薄暗い商店街には、まだまだシャッターの閉まった店舗が多かった。だが、ポツポツと息を吹き返しつつある店舗もあり、亡霊たちはその静かな営みを目を丸くしながら覗き込んでいく。埃を被った山積みのワードプロセッサ。造りの粗い怪しげな和洋の刀剣ども。女人の裸体が印刷されたパッケージ。特に色好きの男どもは、そのパッケージに群がった。長方形の箱と暫し格闘したところでパカリと側面の割れ目が開き、「さあいよいよ絵巻のおでましか」と男どもはいきり立ったが、もちろん中に入っているのはビデオ・テープ。男たちはまたとないほどしょげ返った。
 一方、女御たちが怪しげな美顔ローラーやマッサージ器具に見蕩れているそばで、小さな振分髪はじっと座り込み、不思議そうな顔であるものを見つめていた。その小さな奇妙な形の箱からは、耳慣れない音楽が流れてきていた。少年は異国のメロディに心奪われ、また、これはどのようなからくりであろうか、小鬼でも入っているのであろうかと、密やかな憧れと恐怖を含んだ目で、それをずっと見つめていたのである。
「いかがなされましたか。」
 ようやくのこと気が付いた彼の祖母が、ゆっくりとした口調で言いながらその側に寄り添う。しかし少年は音の鳴る箱に夢中で、目は箱に釘付けのまま、体は既にゆったりと音楽に揺られている。祖母はふっと微笑むと、自分もまた同じように目を閉じて、暫くその音色に身を任せた。
「なあ、乳母殿。」
 不意に少年が口を開き、彼女はハッとなって少年の方に向き直った。
「麿はこれが欲しい。」
 それは何とも底が見えないくらいの無邪気な笑顔であった。彼女は暫く考え込んだが、一つ微笑むと、肩を落としている男集達の方へと歩いていった。
 それから暫く、神戸元町周辺では、「モトコーに置いてあった商品が次々に宙を舞い、唖然とする人々の目の前をふわふわと飛んでいった」という奇談がまことしやかに噂されることになる。だが幸い目撃者が少なかったのと、「まあ、モトコーならそんなこともあるんちゃう?」という地元民のユルい認識のおかげで、この話が取り立てて大騒ぎされるようなことは無かったのである。

「……何者ぞ。」
 刀の柄に手を掛けたまま、鎧武者が口を開いた。腹の底を押さえつけられるような、重々しい口調。臙脂の草摺がゆらりと闇に揺れる。
「な、何者もクソも、ワシはここの店主じゃ。」
 芳平は重圧感と恐怖の中、やっとの思いで答えた。
「店主、とな。」
 兜の下の目に、驚きの色が差した。そして鎧武者は胸当てからCDを取り出すと、ほとんど独り言のように呟いたのだった。
「さすれば、これは……売り物か。」

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