小説

『さいごのひとはな』菊野琴子(『さいごのひとは』)

 小銭入れのスナップボタンをとめてポケットに入れ、花束をかかえなおした。やわらかな花弁が、頬を撫でた。花を見やると、それはいつものように輝いていた。顔をあげ、見まわす。灰白の壁。うつむく人たち。機械の音――――――そこには花があった。
「お待たせ。行こう。…佐和?」
 戻ってきたそのひとの腕を、握りしめた。握りしめるうちに、指の力が、強くなっていく。どうしたと問う声に答えることができないまま、私は泣いていた。涙がこぼれてこぼれて、それでも目を開いて、そのひとを見つめた。
「わたしは……死なない」
 痛いだろうな、と思っても、止められなかった。怒りのような激しさで、握りしめていた。
「これからは、自分で花を見つける」
 愛している。神から借りたような愛で、あなたを見つけた。きっと、磔にされてもあなたを護ることができただろう。でも、それではいけないんだ。
「だからもう、わたしのためにあなたを殺さないで」
 ここには、数えきれぬほどの命がある。私たちは、そこに生きている。無数のつながりの中に、私たちは在る。私があなたを愛さなくても、あなたが私を愛さなくても、私たちは生きていける。だから、愛し合えるのだ。私たちは、まもられてきた命と、まもられてきた命とで、出会ったのだから。
「……ごめん」
 震える声で、彼は言った。目が少しだけ赤くなっていた。
 腕から手を離すと、熱く湿った手のひらにつかまった。久方ぶりの感触に、また涙がこぼれた。
 私たち、がんばってしまった。
 あなたはあなたのやり方で、私は私のやり方で。
 そして、ただそれだけのために命を使い過ぎてしまった。小さな殻に閉じこもって内部を食いつぶしては相手のために使う驕りから、ひそやかに相手を見下していた。
 あなたのためについた嘘が今、頭上で小さな星のように輝いている。
 黒く塗りつぶされた私とあなたの間には、もう花など咲かないと思っていたのに、ふたりで手をつないで回りを見やれば、そこは花にあふれている。
 これではもう、いつまでも死ぬことなんかできない。
「はは」
 泣きながら笑うと、彼の頬を涙がつたった。いじらしい涙に唇を寄せると、腕の中で花たちがまたたいた気がした。

 

 いっしょに来てくれますか?
 これから歩む、花の道を。

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