小説

『鰐梨』黄間友香(『夢十夜』『檸檬』)

 こんな夢を見た。

 気がついた時私は一人で、何もない空間にある一つの指標のごとく棒立ちだった。背景は真っ白で、空気があったかどうかすら怪しい。苦しくないけれどそれと同時に息を吸って吐くという感覚がなく、口と鼻をガムテープでぐるぐる巻きにされたところで生きていられそうな気がしたのだ。その空間に空気はもしかすると無かったのかもしれない。
 夢の中で愚鈍な私はしばらくそのままでいた。どれくらい経ったかは知らないが、漸くそれだけでは何もできないと思い至り、あたりをぐるっと見渡した。その時だった。
 胃もぐるっと一回転したのだ。喉の奥まで胃液がせり上がってきたし、そのあと胃が肋骨にでも引っかかったのか変な位置にやってきたので、回転したのだと分かった。今こうして目を覚ませば何を可笑しいことをと思うのだが、その時の私は大真面目だった。
 一体何事だろうかとそっと手をやると、枝のように上半身を覆う肋骨ではなく何か大きな塊のようなものにあたった。恐る恐る押してみるとじくじくと痛い。私は顔を歪めた。胃の位置が変わったのはどうやら肋骨のせいではなく、このぐいぐいと私を押している何かのせいらしい。

 そして私は思い至った。
 胃が痛いというのはどうも現実味を帯び過ぎている。事実、昨今の就職活動により私の胃は、珈琲の飲み過ぎと迫り来る精神的苦痛により随分と疲弊していた。
 それが当たり前になってしまっていたせいで感覚が麻痺していたが、さて夢でとなると、刺すような痛みが中々堪える。
 だが胃が押しているという感覚はどうやら都合のいいように作られた虚であるという気もする。胃は、体内でぐるりと一回転するようなアクロバティックなものではない。
 夢が始まって早々、私は自分の中で何が起こっているのか分かってしまったのだ。つまらぬものだ。どうせなら現実の未来の方を分かりたかった。未来の会社の話ではない。あとどれだけ胃と靴と財布をすり減らせばいいのかが知りたい。だが物事の道理にしたがって、夢も都合よくはいかないものだ。私は逆流してきそうな胃液を必死で食い止めた。

 夢と分かった私はそれから自分の体の違和感を、他の生き物がいるみたいだなという比喩表現によって知覚することにした。それはより現実に近づけて昨日の脂っこいトンカツのせいでも、賞味期限切れの牛乳を飲んだせいにしたところで全く良かったのに、私はそういうことにしたのだ。今の私は大言壮語を吐き出すことに慣れ親しんでいる。夢の中でもついその癖が出てしまったのだろう。
 どんな些細な物事でも、劇場で演じられるぐらいにまで仕立てるのは当たり前だ。私は舞台を作り上げるのを—————劇など見に行こうと思った事すらないくせに習った。学生の間はめぼしい成績を残すわけでもサークル活動に勤しむわけでもなかった。履歴書に連ねる事ができそうなものがほとんどなくても、想像力というものは素晴らしい。品行方正で次世代を担っていけそうな人物が出来上がった。日常を非日常にするのが劇であるならば、平凡を非凡にするのが私の才覚である。

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