小説

『千年カグヤ』柘榴木昂(『かぐや姫』)

 伊知花がバイザーを外した。ついでに縛っていた黒髪をとく。サラリと流れるような人工毛。僕が髪が好きなせいで、彼女は髪の交換に余念がない。
 フロートに乗って、ひとまず帰途についた。

 伊知花はシャワーを浴びていた。原始的な方法だが、身体についた汚れは液体で流すのが合理的かつ適切だ。僕は彼女のためにカフェオレを入れた。神経質な彼女だが、飲み物だけはドロップ栄養では納得しない。確かに無菌室で作るカフェオレは無菌かもしれないが、直接注入するドロップの方が絶対に衛生的だ。僕は体内に入れるものこそ清潔な方がいと思っているので、バイナリ―回路から補水液をドロッピングする。
 シャワーから上がった伊知花は良い香りがした。下着姿のままカフェオレを経口摂取した。
「久しぶりに君の体を眺めるな」
「メディアでいろいろしてるらしいじゃない。相手が私か知らないけど」
「それはそれ」原始的な行為に興味がないわけではないが、さすがに生身での交わりは遠慮したい。原始的な性交と食人文化の消滅にはずいぶん開きがあるらしいが、何が違うのだろうと思う。
「今回の件、かなり雑よね」カップを置いて独り言のように伊知花が言った。
壊して奪い、走って逃げる。メディアスポーツならまだしも、実際に反仮想空間で行うには無駄と消耗は大きいだろう。体を使って走ればバイタルも異常を示す。異常値ともなればオルテーススのメディカルコードにも引っかかるだろう。長ったらしいスクリーニングを受けるはめになる。
 そこまでして旧式のエネルギーコアを奪う理由は何だろうか。そして、祭壇で盗まれたものはなんだったのか。
「旧式エネルギーコアは反仮想空間で、確かに物理的脅威になりえるかもしれないな。ただ、僕たちが調べた破壊の跡には何があったんだろう。アガスティアにもサインがない」
 自分で言ってはたと気づいた。この世界の、すべてのデータはアガスティアという巨大サーバーに収められている。その上にあらゆる管理プログラムを自動に行うオルテーススがあり、それらはひとつの人工衛星としてこの星を周回していた。
 だが、さっきみた山頂の加工ログ、それに盗まれた端末の存在はメディアの中にはなかった。とすると、メディアと反仮想空間の間にズレがあるということだ。メディアにしかないものならともかく反仮想空間にしかないものなんてこの世にあるのだろうか。
「何もなかったことになってるわね。盗まれた圧縮ウランも一応速報にあがってるわ。DJPがレコードしてるから適当なレポートになってるけど」
 気になったので祭壇の破壊についても速報を確認してみた。ニュースメディアには現状のレコードがあるだけだ。オルテーススが編纂しないということは、この星自体にはあまり影響がないということだろうか。
「そもそも、犯人は補足されてないんだな」

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