小説

『謎のパスモ』太田純平(『謎のカード』)

「うほ……美人……」
 横浜駅のホームに美女が立っていた。二十代後半だろうか。茶髪のポニーテールに、夏物の白いワンピース。ミサンガのようなイヤリングは南国風だが、最も似合いそうな街は表参道だ。
 美女は妖しげなオーラを放ちながら、東急東横線の乗車口の前でスマホをイジっている。たいていの男であれば引力に負け、美女の真横か背後に陣取って電車を待つだろう。しかしそんな事は、日本男児のやる事ではない。
 男は黙って、隣の乗車口。
 こうして俺のように、隣の乗車口からいかにも「電車の到着を気にしてます」という風にチラチラと拝見させていただくのが、正しい美女の嗜み方だ。
 警笛が鳴って、各駅停車が顔を見せた。
 別々の乗車口から乗り込んでも、結局は同じ車両に乗る。あわよくば、美女の対面か隣の席を――などと考えるのは、ジェントルマンのやる事ではない。
 男は黙って、仁王立ち――と下らない事を考えているうちに電車が到着した。
 乗り際にふと、美女の方を見た。すると電車に乗ろうとした美女が、何かを落とした。音がしなかったから、スマホや重みのある物ではない。定期か、何かのカードだろうか――。
 美女は自分が落とした事に気付かず、そのまま車両に吸い込まれた。
 オイオイ。
 こういう時、対応に困る。固まってしまうのだ、どうするべきかで――。
 イケメンならすかさず落とし物を拾い、颯爽と車両に乗り込んで美女に渡すだろうが、俺みたいなブサメン大学生はそうもいかない。
 戸惑う。足が出ない。拾う、拾うよな、普通――。
「ぐっ……」
 発車メロディに急かされるように、落とし物を拾いに行った。美女が落としたのは、一枚のパスモだった。
 このまま電車に乗って美女に渡そう――と思ったところで、無情にもホームドアが閉まり、電車は行ってしまった。
 バカだ――病気だ――。
 後悔に打ちひしがれた。
 何故、美女が落とした瞬間に拾いに行かなかったのか――。
 何故、いちいち頭で「どうするべきか」などと考えてしまうのか――。
 未練がましく電車の尻を見送ってから、パスモを見た。カタカナで名前が印字されている。
『ツキシロ アヤノ』
 素敵な名前だ。彼女のイメージにピッタリ。漢字で書くとしたら『月城綾乃』だろうか。
 拾ってしまった以上、届けるより他にない。
 はぁ。

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