小説

『no little red food』日吉仔郎(『赤ずきん(little red hood)』)

 マミという名前の子は、わたしの小学校のクラスにもいる。林田真美さん。話したことはあんまりない。
 一番仲の良い友達が隣のクラスにいて、クラスではいつもひとりで本を読んでいる女の子だ。教室にいるときは寂しそうだけど、放課後にその友達と本の貸し借りをしたり、感想を言い合ったりしているのを見るとすごく楽しそうだ。
 林田さんたち二人が、わたしの知っている本について話しているときとか、わたしは仲間に入れてほしいと思うこともあった。けれど、話しかける勇気が湧いたことは一度もない。
 マミという名前から連想しただけで、すぐそこでおどおどしている「マミちゃん」と、同じクラスの「林田さん」が、同一人物だとは思わなかった。偶然同じ日にパンダを見に来るわけがないし、落ち着きのある林田さんのお父さんが、あんな乱暴なわけがない。
 そんなわけない、と思いつつ――マミちゃんと呼ばれた女の子をじっと見つめてしまうと、目が合った。マミちゃんはわたしを見て、目を見開いて驚いている。
 あれ? 林田さんなの? 普段より虚ろな感じがするし、雰囲気が違うけど、でも、そうか。この子、林田さんなんだ!
「林田さん!」
 わたしは手を振って、林田さんのところまで走っていった。「ね、偶然! わたしほら、同じクラスの中村尚子!」話してみたかったクラスメイトとばったり出会えた奇跡に感動して、勢いに乗ってそう言ったけど、中村ってお母さんの姓だし、中村尚子とか、お父さんの前で言うのはよくないのかな。急に複雑な気持ちになる。
「中村さん」
「いやいや、尚子でいいよ!」お父さんの前で中村さん、と呼ばれるのに緊張して、わたしは柄にもなく、馴れ馴れしくそう言ってしまう。当のお父さんは、あまり気にした様子もなく「えっと、尚子、友達?」と首を傾げてくる。
「うん、同じクラスの林田さん」
「ははあ。どうも、娘がお世話になっております」
 お父さんに深々と頭を下げられ、林田さんはすごくびっくりしたみたいだった。「いえ、その」わたしたち、別にそんなに仲良くないよね、どうしたら、そういう困ったような視線がわたしに投げかけられ、申し訳なくなる。慌てて場を繋ぐ。
「林田さんもお父さんと来てるの? 子パンダ、整理券ないと見れないけど、向こうで大人のパンダだったら見れるよ。木に登ったりしてさ、おとなもかわいかったから、行く価値あるよ!」
「あ。うん」
 お父さん、という言葉が出た途端、林田さんの表情はこわばった。「でもごめん、中村さん、じゃなくて、尚子ちゃん、えっと、わたし、お父さん怒るから、もう行かなくちゃ」
 林田さんはそそくさと、出口のほうへ駆けていった。
「あの子、あんな怖そうなお父さんでたいへんそうだな」

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10