小説

『no little red food』日吉仔郎(『赤ずきん(little red hood)』)

「でも、あっちで別のおとなのパンダが見れるみたいだから」
 焦ったお父さんはわたしの手を引いて、蛇腹に並ぶ行列の隣を進んだ。繫がれた手を目で追う。人は多いけど、わたしもう、迷子になるような年齢ではないんだけどな。
「おお」
 でもお父さんがわたしをなだめるためではなく、純粋に感心したような声をあげて、わたしは顔を上げる。
「尚子、パンダ、木に登ってるよ」
 指差すほうを見ると、人だかりがあって、ガラスがあって、ガラスの向こうには背の高い木が植えてあった。そして木の上にパンダがいた。さらに高くまで登ろうとして、でもやめてしまって、木の幹が分かれているところの窪みに、すっぽりと腰を落ち着け、昼寝しようとしていた。
「かわいい」
 白い部分は黄色っぽく、ガラスのなかに閉じ込められているのに、不思議とパンダはのびのびして見えた。

 昼寝をはじめるかに見えたパンダは、しばらくすると笹が食べたくなったようで、ふわふわの身体をのっそり動かして木から降りてきた。笹を手に取ると、かわいい見かけからは想像できないような力でバキッと力強く枝をおり、人間がサトウキビやジャーキーを食べるみたいに、何回もじっくりと、よく噛んで食事した。
「なあ、パンダって笹ばっか食うのに、笹を消化できないんだって」
 わたしがじっとパンダを見つめて動かないでいるので、お父さんはスマートホンでパンダの習性を検索し始めた。「笹をきちんと消化できないから、糞は笹の葉っぱの色なんだってさ。笹ばっかり食べるからあんまり臭くないらしい。でも年中胃もたれしてて、動きがゆっくりなのはそのせいなんだって」
 わたしはパンダを見つめたまま、お父さんというホームページ読み上げサービスで情報を得る。たしかにパンダはゆっくりと動いている。
「笹しか食べないのに笹からあんまり栄養取れないって、なんか、変わってるね」
「そうだな。生き物としてどうなんだろ。そんなだから絶滅の危機に陥るのかなあ」
 絶滅、という言葉にびっくりして思わずパンダから目を離す。もちろん、わたしだってパンダが絶滅の危機に瀕している動物だってことは知っている。でもほら、すぐそこにいるパンダは、とても元気そうなのに。
「えっと、でも、だからこうやって動物園で守ってるんだよね?」「うん、そうだな。みんな頑張ってるんだろうな」一度は頷きながらも、お父さんは続ける。「でもなんていうか、パンダ自体がそもそも、のんきすぎるっていうか、サバイバルできてないっていうか」
「サバイバル」
「例えば、昼飯に食べた鰻とかも、生態が謎すぎて絶滅危惧種に指定されてるだろ?」
「え、そうなの? でも食べちゃったよ」

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