小説

『福男、走る。』新月(『幸福の王子』)

 ありがとうございます、と返して雪也にお世話になったと頭を下げておく。福男競争以降、雪也は受験勉強を本格化させると言っていた。今頃、勉強しているんだろうか。お姉さんと少し立ち話してから、後で差し入れを持っていくことにした。
 優美ちゃんの病室に入ると、丁度絵本を読んでいる所だった。
「あっ、お兄ちゃん! 」
「優美ちゃん、久しぶり。ごめんね、最近来れなくて」
 絵本から顔を上げると笑顔で出迎えてくれた。ベッドの上には2、3冊の絵本があり、1冊を読んでいる最中だった。
 最近はあまり体調が良くないらしくベッドの上で過ごしていることが多くなっていることは雪也から聞いてはいたが、福男競争の前に会った時よりも顔色は優れないように見える。
「何読んでたの? 」
 ベッドの端に腰かけて、絵本を覗き込むと優美ちゃんが絵本の表紙を見せてくれた。『幸福の王子』、正直、現代っ子には抵抗がありそうな絵柄ではあるが、有名は童話だったと思う。ベッドの上には『九月姫とウグイス』や『人魚姫』がある。
 ハッピーエンドなのが『九月姫とウグイス』位しかない気がする。『幸福の王子』は一応ハッピーエンドになるんだろうか……
「あのね、ゆみね、このおうじさまってお兄ちゃんに、にてるなっておもったの」
「似てるかな? 」
「うん、だってお兄ちゃんはゆみのためにいっしょにあそんでくれるでしょ。それに、おかしもくれた」
「お菓子食べてくれたんだ、美味しかった? 」
「うん、おかあさんといっしょに食べたよ、ずっごくおいしかった」
 以前、お菓子をあまり食べたことが無いことを知って優美ちゃんのお母さんに許可を貰ってマドレーヌとドーナッツを持って行ったことがある。その時は、いつも以上に目を輝かせていた。まるで、初めて見る宝石を見た子どものような反応だった。
 それから、絵本の読み聞かせをした。読んだのは『幸福の王子』と『九月姫とウグイス』。この2冊を読み終わった所で、他の子ども達にも見つかって、次から次へ読み聞かせをすることになり、最終的に6冊の絵本を読んでいた。
 いつもは色んな子がこれも読んで、これも読んでと来るのだけど、今日は優美ちゃんがいつも以上に読んで欲しがった。
 声がガラガラになった所で帰ることにした。
「お兄ちゃん、あのね、こんど、ゆみに会いにきてくれたら、ゆみ、お花がみたいの、春のお花、まってるね、やくそくね」
手を振る優美ちゃんの病室から出る。他の子達は俺について来るのを見ながら、看護師さん達は軽鴨の親子と言ったり、ハーメルンの笛吹と言ったりして笑っている。雪也のお姉さんがケラケラと笑っていたので、笛吹ではないと否定しておいた。
「あら、連れてってくれないのね。優しさは時に残酷よ。ここに居るような子達にはね」
 どこか含みのある言い方に意味を訊き返そうとするが、雪也のお姉さんはさっさと持ち場に戻ってしまった。

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