小説

『福男、走る。』新月(『幸福の王子』)

 怒る坂上先生と白を切る雪也、会話は平行線を辿っている。練習自体無理を言って雪也に混ぜてもらっている。雪也に申し訳ないとは思うものの、練習できなくなってしまうのも困るので雪也には頑張ってもらっている。本当にすまないとは思っている。

 陸上部が解散する声で目が覚めた。少し眠っていたようだ。立ち上がって体を伸ばす。無理な体制で寝ていたのか、骨が音を立てる。
「お疲れさん、毎日毎日よく走るな」
「お疲れ、まぁ、去年は二着でなれなかったし、じいちゃんが生きてるうちに福男になろうと思ったら今年が最後だなって」
 雪也はふーんと気のなさそうな返事をして、自転車の鍵を回している。
「俺は福男とは興味ないけどさ、お前がそこまで頑張るってんなら、手伝いはするよ。正直お前に頼み込まれたとき、どうせ二日と持たないと思ったんだけど」
 回していた鍵を掌に戻して、ニヤッと笑って続けた。
「まぁ、本気みたいだし、付き合ってやるよ」

 
 家に帰ると母さんが電話で誰かと話している。邪魔しちゃまずいので、そっと部屋に戻ろうとすると、急に呼び止められる。
「広樹ちょっと、今からおばあちゃん家に行って物貰っておじいちゃんの所行ってもらえない? 」
「俺疲れてんだけど、父さんは? 」
「まだ帰ってきてない。お母さんは腰痛で自転車乗れない、おばあちゃんは体力的に無理、はい、今からおじいちゃんの病院に行けるのは、だれ? 」
 電話の向こうでは、ばあちゃんが「大丈夫よ、私行けるから広くんは休んでてなぁ」と言っている。が、母さんはその言葉を聞いていない。もしくは、聞く気がない。
 諦めて荷物を降ろして、スマホと財布だけポケットに入れる。家からばあちゃん家まで自転車で20分、ばあちゃん家から病院まで25分、計45分。そもそも面会時間間に合うのだろうか?
 グダグダしてもしょうがないので自転車を全速力で走らせる。俺が到着する前にじいちゃんに渡す物とキンキンに冷やしたお茶を用意しておいてくれた。それらを受け取って、病院に向かって走る。
 病院に着いたのは、面会終了時間ギリギリだった。

 じいちゃんの病室に入ると、やたらに元気な声がかけられる。小さくため息を吐きながら声のした方を見ると、髪の毛が抜け落ちて丸坊主になったじいちゃんが笑顔で手を振っていた。

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