小説

『7月4日の舞踏会』高木りつか(『舞踏会』)

 ──美しくない(セ・パ・ベル)。
 ジュリアン・ラッセル少尉は、大階段の匂欄に頬杖をつき首を横に振った。
 階下の〝ダンスフロア〟では、トーキョーで指折りの、というふれこみの日本人ジャズバンドがグレン・ミラー・オーケストラの「ジャンピン・ジャイブ」を演奏している。
ジュリアンはリズムにのろうと長い指を黒光りする匂欄にタップしようとするが、どうしても合わない。ドラムがやたらに、もたつくのだ。ここぞ、というところで気の抜けた音で脱力させる、ぶかぶかの背広にくるまれたトランぺッターを眺めながら、ジュリアンは息を吐いた。
 仕方がない。差し引いて見なければ。彼らのボスが戦艦ミズーリの甲板で降伏のサインをしてから、まだ数年も経っていないのだ。長いあいだ閉じられていた西洋文化の扉は開いたばかり──彼らは飢えている。芸術に。
 色とりどりのスカートをひるがえして踊っている、数人のパンパンガールに目を転じ、また、彼は思う。──そして何より、文字通り空腹なのだ。
 彼女たちは、街でスリープ、スリープ、と自分のような軍人の腕を引っ張る最下層の娼婦ではない。将校たちの現地妻、日本人の言う「オンリーさん」というやつで、流行の肩パット入りの、腰のしぼったドレスで軽やかにステップを踏むさまは、ホールのあちらこちらで澄ましてカクテルをすすっている、白く太った正妻たちに一見ひけをとらないように見える。少なくとも、袖を何重にもまくって必死に下手な演奏をつづける貧相な男たちより、こちらを欝々とさせないだけ、いい。
 しかし、高級という文字が付こうと、娼婦であることに変わりなく、彼女たちのひとりは、早くも酔った赤ら顔のパートナーに臀部を摑まれ、嬌声をあげ、踊っている白人女性は彼女たちのドレスの裾にでも触れたら病気がうつる、とばかりに眉間にしわをよせ、距離をおくことにいたく神経をそそいでいる。
──まったくもって胸糞悪い(merde)光景!
 フランス系アメリカ人のジュリアンは、悪態をつくときだけ仏語になる。そのほうが下品さが薄まる気がするのだが、それはあくまで心の中か小声でなされるので、周囲の人々が、この、繊細そうなはしばみ色の瞳をもつ端正な顔立ちの青年がそんな言葉を使うと知ったら、多いに幻滅することだろう。
「トーキョーのOC(将校用クラブ)へようこそ、ジュリアン」
 同僚のフランクが横に来て、ぬっとハイネケンの瓶を差し出した。同じニューイングランド出身のよしみで、オキナワから移動してきたばかりのジュリアンにあれこれ世話を焼いてくれる。
「さすが、ランクAのバンドは違うじゃないか?」
 受け取りながらジュリアンは皮肉そうに笑う。やはり少尉であるフランクに気兼ねはいらない。この将校クラブではふたりとも〝ぺえぺえ〟だ。

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