小説

『帰郷行旅』@のぼ(『銀河鉄道の夜』)

「まだ怒ってんの?」
 あのとき私にとっては鈴ちゃんこそが恐怖の大魔王だったけど条件反射で窓を開けてしまったら鈴ちゃんは既に壁面に梯子を掛けていてずんずんと登り窓から私の部屋にずんずんと入ってきた。慌てた私はなんとか鈴ちゃんに落ち着いてもらおうと一階にココロは駆け下り身体は抜き足差し足で向かい冷蔵庫からガラスの器に入れた牛乳ようかんを取り出すと今度は構わず二階へ駆け上り鈴ちゃんに差し出したら鈴ちゃんはふた切ればかりを一気に飲み込む様に食べたもんだから案の定に咽せてげほげほしていた後に“こほんッ”と咳払いしてから昨今の世のことなどを熱くでも静かに語り始めた。
 そして最後にセカイのオワリの時、恐怖の大魔王と戦う為に、私たちはどんな人になるべきなのか、その為にはこれから何をすべきなのか更に熱く、更に静かな声で語り始めた。
 時間は2時50分を過ぎていて一番大切なみゆきさんのラジオの最後のハガキのコーナーを聞き逃す事になりそうだったけど鈴ちゃんの語りを止めることなど恐ろしくて出来なかった。 
 いつもは聞いていないオールナイトニッポンの第二部の男性パーソナリティーさんが繰り出すダジャレやら何かを聞き流しながらやがて夜が明ける頃に私は鈴ちゃんと新たに二つの誓いを立てた。  
 そして20数年が経った今、向かいの席の鈴ちゃんはあの時と同じ熱い眼差しで私に尋ねてきた。
「覚えてる?あの時の一つ目の誓い」
 忘れるはずが無い。それは『セカイのオワリの時、役立つ人になろう』だった。
「だからあなた、看護婦さんになったんでしょ?」
 鈴ちゃんの問いかけに、正直に答えようとすればするほど言葉が喉で絡まってしまう。
 車内が酷く暗くなった。
「天北トンネルの中に入ったんだよ」
 不思議な事に軌道と車輪が奏でる騒音は更に高まったのに鈴ちゃんの声はかき消されるどころか私の頭の中に直接入って来て響く。 
「ねえ、1999年の大晦日のこと、思い出すこと、ある?」
「ねえ鈴ちゃん、今何故、そんな事、聞くの」
 私はおそらく多分酷く静かな目で鈴ちゃんを見つめている。
 1999年。夏が過ぎ秋になっても世界は終わることなどは無かった。
 そして迎えたの大晦日。施術室勤務専門のナースだった私はその日はオフでアパートの部屋でぼんやりとテレビを見ながら時間を潰していたけど夜の9時過ぎに緊急オペで病院に呼び出された。
 その時の患者は若い妊婦で別の産科に救急搬送された時点で既に胎児は絶望的だったけどそれでも母体の状態は当初はそれほど深刻では無かったそうだが突如急変して病院間搬送で私の病院に運ばれて来て「せめて母体だけは」という家族の微かな希望と共にこのオペ室に入ったのだけど長く続くかと思われたオペは程なく唐突に終わってしまいその患者は病棟に回された。
 あの患者の家族の願いは叶わなかった。 
 あの時、私はオペ室に一人残って後片付けをした。

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