小説

『女の子の病』利基市場【「20」にまつわる物語】(『少女病』)

 水道橋、飯田橋、乗客はいよいよ多い。市ヶ谷に来ると、ほとんど車窓に押しつけられそうになった。先生はスタンションポールにつかまって、眼を私から離さず、心配そうにしている様子だったが、四ツ谷に来た時、また五、六の乗客があったので、押しつけて押しかえしてはいるけれど、あやうく、他の見知らぬ誰かに壁ドンされそうになる。危ない危ない。先生じゃなきゃ嫌だからな。
 そのとき、急激に身体が冷えていくのを感じた。さきほどまでは、まだ心地がよかった。しかし、いまはもう、手先足先まで冷え切っている……。
 あれっ。あれっ。どうして、こんなにも醜くなってしまったのだろう。ついさっきまでは、私は美しく咲き誇っていたはずなのに、いまはもう枯れた花弁が四方に向かって垂れている。どうしてしまった、どうしてしまった。私は何度も目を擦った。いや、私の感覚は正しい。さっきまでと比べて、幾分体温が下がってしまったが、紛れもなくこの身体は私の身体だ。そうすると、目の前の光景はなんだというのだろう。美しい私はどうしてしまったというのだろう。手鏡を取り出して、自分の顔貌をよくみると、目鼻立ちは先ほどと変わりないではないか。ひとつひとつを掬い取ってやると、それらは紛れもなく美しい。それなのに、どうしてこんなにくすんでしまったのだろう。
 そうだ、私はいま二十歳を迎えてしまったんだ……。
 高鳴っていた心臓が死んでいった。それと同時に電車の警笛がけたたましく鳴った。車内アナウンスがながれて、ブレーキのかかった電車が急停車へと向かっていく。
「停止信号です。」
 いまの衝撃。先生は大丈夫だろうかと、ふとその方向へと目をやった。先生は同じ年のおじさまと絡み合って身をくずしながらも、なんとか身を立てようとしていた。
 あれ、どうして? なんで?
 先生は人混みをかき分け、ぐいぐいとこちらに身を寄せて、近づいてきている。

――え? なんで? また、どきどきするじゃん……。

 ピィと発車の笛が鳴って、急に電車の速力が早められた時、私の近くにいた、少なくとも乗客の二、三が中心を失って倒れかかってきた。そして、押されたからには当然、音もなく沈んでいく私の身体に、確かな温かみがあった。
 私の中の非常警笛がけたたましく鳴った。

 ――うわああああああああああああああああああああ、壁ドンどころじゃあないいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ

 先生の両手が私をきつく巻いていて、その瞳が、ほとんど距離も開けずに、私を見ていた。
「大丈夫ですか?」と先生は怪訝な表情で訊いた。
 ――ち、近いです、だめです、だめです。
「大丈夫そうですね」と先生は眩しく笑った。
 ――なんだこれ、最高だ……。
 先生の手には花束があった。そのうちの一本が、私をじっと見るように、花の芯をぐんと向けていた。傍らには、成人を祝うメッセージが、先生の温和な筆跡で添えられていた。
 枯れてしまっていた私は、瞬時に水分を取り戻し、先生の腕の中でいきいきと新しく生まれた。いまの私が、紛れもなく、自分史上最高だ。

1 2 3