小説

『20年目の暴走』佐藤邦彦【「20」にまつわる物語】(『美女と野獣』)

 言うと、幻竜の体が天高く舞い上がり一層巨大化する。顔の部分は雲より高きに存在するが、まだ全身が沼から出たわけではない。果たして、全体ではどれくらいの巨さになるのか。
 天空でこの煉獄の森ごと飲み込めそうなほどの大きさに上下の顎(あぎと)を開き、巨躯を躍らせ、幻竜が雷(いかずち)の疾さでラスンへと迫る。
 「幻竜!このラスンに妖しの術は通じぬ!呀っ!」
 ラスンが右手を幻沼へと伸ばし、掌を素早く閉じると、一匹の小さき竜が捕らえられていた。幻竜である。
 「放せ!放さぬか!」
 「この矮躯こそ貴様の正体!このまま握りつぶしてやろうか?幻竜よ」
 「待て!ラスン。いや待って下さい、ラスンさん。いやラスン様!どうかお助けを!」
 ラスンとの格の違いを分かりやすく示す為、幻竜が見苦しく命乞いを始める。

 大甕で装飾や誇張なしでこの一部始終を見ていたボブバとミルマが顔を見合わせる。二人の目に映ったのは、沼からゆっくり這い出した鬼魚たちがモタモタとラスンの体をよじ登り、落ちない様に必死にラスンの衣服にしがみつく。ラスンがくしゃみをすると、ブルッと体が震え、鬼魚たちが落下する。幻沼の水面をゆっくりと泳いでいた幻竜を、そっとラスンが掴む。というものであった。
 「むっ!ラスンめ。まさか幻竜までも倒すとは……。よかろう。来るがよい。この魔王ボブバ自らの手で葬ってやろう!」
 拳を握り締めたボブバが言う。
 「……。ラスン様……。」
 ミルマ姫が小さく呟く。呟くが心中(やってられない!こんな茶番)との気持ちが膨らんでくる。
 と、程なく扉が開き、ラスンが飛び込んでくる。
 「来たか!ラスン!」
 「ボブバ!ミルマ姫を渡せ!」
 「ラスン様!」
 ミルマ姫がラスンに駆け寄ろうとするが、「哈っ!」と呼気と共にボブバが右手を斜め下に振り下ろすと、体が硬直し、その場に崩れ落ちる。
 「ミルマ姫!」
 「……。ラスン様……」
 「ラスンよ。姫を救けたけば、このボブバを負かしてみぃ!哈っ」
 ラスンが叫び、ミルマが弱々しく漏らし、ボブバがラスンへ向けた右手の人差し指から紅蓮の炎を放射する。
 勿論、装飾と誇張を取り除けば、火は指先からちょろちょろと出ているに過ぎない。
 (20年前なら……)とボブバが内心忸怩たる思いを抱く。

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