小説

『間奏曲・平成』糸原澄【「20」にまつわる物語】

「ええ。いつもすみません、ご迷惑かけて」
 ゴメイワクなわけあるか、それはこっちのセリフだ、自分の方が付き合い長いんだから、と聡は早紀の言葉一つ一つが気に入らない。ケチを付けようがない容姿に優しい性格も気にくわない。そして、そんな自分が嫌になる。大事な友人を選んでくれた人を、大事な友人が選んだ人をそんな風にしか思えない自分が情けなくなる。そもそも選ぶっておかしいだろう。
 並木通りで運よく個人タクシーをつかまえることができた。翔一はいい気なもので、すぐに寝息を立て始めた。右肩にのしかかった重みが嬉しくて悲しくて泣きたくなる。どうやら飲みすぎたようだ。赤坂御所の静謐な森を過ぎると自然に言葉が出ていた。
「昔は」
 生まれた時から翔一とは一緒だった。中学高校は別になったが、大学でまた一緒になった。早紀が知らない翔一の時代をずっと共有してきた。でもこれから、そんな季節は過去になってしまう。
「バブルのころは、札束振らないとタクシー捕まえられなかったって本当ですか」
「そうらしいですね。私はその頃営業してなかったんですが」
 右手に銀杏並木が見える信号でつかまった。運転手は丁寧に停車すると続けた。
「そういう話はうんざりするほど聞きます」
 声の感じは五十代くらいだろうか、少し呆れているように聡には聞こえた。 学生時代、翔一の応援に何度も足を運んだ秩父宮ラグビー場が見える。大学対抗戦が月曜までもつれこんだ時、野球は休講になるのにラグビーはなんでならないんだってよくぼやいていた翔一を思い出して聡は静かに笑った。声が枯れるくらい張って、翔一にエールを送った。烈日より眩しかった。遮る雲なんてないと根拠もなく信じていた。
「嫌になっちゃいます、そういう話」
 本当に、嫌になってしまう。人はいつまでも同じところにいられない。もし居座れば、周りの人は移動してひとりぼっちになるのだろう。
「今についていけないから、昔は良かったって言うんでしょうね」
 そうなのだろうか。だとしたら少し可哀そうだ。聡はそう思ったけれど、昔はよかったと懐かしむ大人と今の自分は何が違うのかとまた悲しくなった。
 井の頭通から細い一通に入る。しばらく走ると前方に両手で両腕をさすりながら寒そうに立っている早紀の姿が見えた。一瞬「なんで彼女に電話したんだろう」と思った。電話なんてせずに、翔一と荻窪に帰ればよかったのだ。けれど、朝起きた時翔一が「なんだ聡の家か」みたいな顔をするのが思い浮かんで聡は自嘲するように笑った。
「翔、着いたよ。起きて」
 タクシーで眠ったせいか、婚約者の顔を見たせいか、翔一はタクシーに乗る前よりもピリッとして降車した。それでもまだ覚束ない足をピタリと止めて振り返った。

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