小説

『小さな川の出口』菊武加庫【「20」にまつわる物語】

「病気した同級生とか、しばらく会ってない人の生存確認には便利だけど、それ以外に役に立つことないよな。ラインはなんかの幹事のときは助かるけど」
 確かにそうだ。
 インスタのことはよくわからないが、そこには渉が撮った写真が脈絡なく並んでいる。誰かに見せる気もないだろう雪の景色、蟷螂のこども、ホークス優勝の瞬間、「の」の字で眠る犬――。構図に凝っているふうでもない。すぐやめる気で意欲がないためか、雪景色の次に桜だ。
 ふと何か別の窓に触れてみた。
「何これ」
「ん?」
 渉ののぞきこんだ目がコマ送りのようにゆっくりと大きくなり、最大のところで表情が固まった。だが一瞬で停止ボタンが切れたように声を上げて、わたしからスマホをすごい勢いで奪い取った。
「あ――――っ!! これ……」
 いつも茫洋とした渉のこんな必死の形相、素早い動きをみるのは初めてだ。
やればできるじゃんと場違いな冗談を言いそうになる
画面には目の前の男と見知らぬ女が満面の笑みで写りこんでいる。背景はどこかのテーマパークだろう。
 詳しくはわからないが、その女もインスタをしていて渉とデートした写真を投稿(というのか)したのだろう。その結果、関連した記事として渉の画面に出てきているらしい。渉はそれを知らずにわたしに画面を見せたのだ。間抜けだ。
「いつから」
「半年前くらい。職場が同じなんだ」
「遊び?」(陳腐な質問だ)
「ちがう」
「…どっちが大事?」(どうしたって陳腐な質問だ)
「……どっちも」
「だけど――、両方とつき合うわけにはいかないよね。ばれてしまったことだし」
 長いだんまりの後、最後にこういった。
「……どっちとも別れたくないんだ」
 呆れるとはこういう問答のことだろう。
 今まで不潔ではないと思っていた不揃いのはねた髪が途端に汚らしく見えた。画面の彼女の方が好きだと言われれば、わたしは闘うか引くかの答えを迫られたにちがいない。なのにこの人はどの決断もせずに、このままでいることだけを選びたいのだ、いつも。
 穏やかに見えていた顔が、ただの間抜けにしか見えない。正規雇用の仕事を本気で探さないのも単なる怠け者だからだ。そんなこととうにわかっていた。テーマパークの彼女と別れても、また同じことを繰り返すにちがいない。

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