小説

『小さな川の出口』菊武加庫【「20」にまつわる物語】

 眼鏡は生活を一変させた。初めてかけたときには距離感が変わり、少しぐらりとする感覚があって動揺した。それまでうすぼんやりした視界に慣れていたため、あまりにも明瞭に見えることに怯えに近い感覚を持った。ここまではっきりだと、見るのも見られるのも怖い気がした。だが、眼鏡は視力を補うだけでなく、すぐに心までガードしてくれるようになったのだ。くだらない間違いを笑い飛ばせない自分、小心で人の目を恐れる自分、そんな自分を眼鏡は二重にガードしてくれる格好な道具になった。
 当時は二回生になっても大学生活にまだ馴染めないでいた。端的にいうところの「女子大生」になれずにいたのだ。地味で埋もれるしかない学生だった。みんなはいつどこで服のセンスや知識を磨き、メイク法を学んでいるのだろうと不思議で仕方なかった。お金を捻出する方法も思いつかない。ごく普通の家庭で育ったと思っていたのは、とんだ間違いだったのかと混乱するほどわたしは質素だった。そして大学生の中では「質素」という言葉は、殆ど忘れられた言葉であり、もちろん美徳では絶対にありえなかった。
 そして何より自分と同年代の人たちがきちんと会話をし、気遣いが出来るように見え、人と自分を比較して孤立した気持ちでいた。
 これでいいのだ、自分の道を行くのだという自信も確固たるものもないまま、二十歳を過ぎていた。誰もわたしなど見てもいないのに人の目を煩わしく感じ、人前に立つ自分に切り替えることも、演ずることもできず、すぐに裸の感情や動揺が浮かんでしまう。そんな情けない自分に嫌気がさしていた。そんなとき、手に入れたのが眼鏡だった。

 そうして見回してみると、眼鏡をかけることは、素顔を隠すのにかなり役立つのではないかということに気がついた。眼鏡を常にかけている人は、眼鏡という情報込みで顔を認識される。だから、ある日突然眼鏡なしで歩いても気づかれない確率がかなり高い。逆にいつも眼鏡なしの人が眼鏡をかければ、それだけで変装が成立することもある。マスクに匹敵するくらいの隠れ蓑効果がある。人は案外他人を注意深く記憶してはいないことに考え至り、どことなく楽になった。 
 なによりレンズ一枚隔てているだけで、心を守れる気がした。突然理不尽に怒りを向けられたときも、一呼吸おいて冷静に応えられるようになった。あるいは、「髪切った? いいね」と突然褒められたときも、照れて不審な動きにならずに「ありがとう」と、感じよく(多分)答えられるようになった。

 渉と知り合ったのもそのころだ。二人とも和食のチェーン店でアルバイトをしていた。当初渉は夜、私は昼のシフトが多く、なかなか顔を合わすことがなかった。夜はお酒を出すのでなるべく入らないようにしていたが、夕方まで働いた日はシフトが重なることがあり、話す機会が増えていった。学校で会ったことはないが同じ大学の同学年ということもわかった。

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