小説

『花嫁の便り』倉田陸海【「20」にまつわる物語】

 既になにかが始まってしまっていて、僕はそれに巻き込まれている。そして始まってしまったのなら、後はもうなるようにしかならない。僕は深く息を吐いて、落ち着くように努めてから「聞こえている」と返事をした。
『良かった。じゃあ聞いて。あなたはこれから、一人の特別に可愛い女の子と会うことになる。その子を守ってあげてほしいの』
「随分大雑把ですね。それに、あなたは知らないだろうけど、僕はただの大学二年生なんだ。喧嘩だって強くない」
『知っているわ。それを承知でお願いしているの』
 知っている、と確かに彼女は言った。でもいくら思い出そうとしても、僕には彼女の声に聞き覚えはなかった。
『そこの台に十円玉が二枚あるでしょう。それを使って受話器を取れば、私のところに電話を掛けられるわ。でも、二枚しかないからよく考えて使ってね。もう私の方からは連絡できないから』
 畳みかけるように彼女は喋った。それから電話番号の数字の一つ一つを丁寧に伝えてくる。僕は忘れないように頭の中でその番号を何回か唱えた。
「そもそも、あなたは誰?」
 僕が尋ねると、電話口の向こうにいる彼女はそう聞かれることが最初から分かっていたみたいに、歯切れよく、瞬時に答えた。
『あとで分かるわ」
 そこで電話は切れた。
 僕は受話器を置いた。それからジーンズのポケットにある飴を取り出し、小包を破って口の中に放り込んだ。わざとらしいオレンジの甘さを感じながら電話機が置かれた台をよく見てみると、そこには電話の彼女が言ったように十円玉が二枚積んであった。手に取って観察してみたけれど、それは誰もが持っていてもおかしくない普通の十円玉だった。強いて言うなら二枚とも年号が今年で、そのくせやけに錆びついている。電話の彼女の言う通りならば、今から始まる出来事、あるいは既に始まっている出来事は、この二十円と僕の手腕にかかっていた。
 乗りかかった船だ、と僕は自分に言った。たとえ乗りたくはなかった船だとしても、僕はその船に乗ってしまっている。することもなかった春休みは、なんだか僕の想像以上に忙しくなりそうだった。
 電話ボックスから出ると、閑静な路地裏では春風が穏やかに吹いていて、木々を騒めかしていた。酷くうるさいあの音もしない。弛緩している春の空気の中で、萎れた飴の包み紙と一緒にポケットに入っている二十円だけが、妙な重さを持っていた。
 これからどうしようか、僕は公衆電話の前で考えた。まず、どうやって電話の彼女が言っていた女の子に会えばいいのだろう。二十円をどんな場面で使えばいいのだろう。そして守るとはどういうことだろう。分からないことだらけだった。
 僕はもう一度電話ボックスの中に入った。受話器を上げ、彼女に言われた番号を打つ。発信音が数秒して、電話は繋がった。

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