小説

『わすれる』伊東亜弥子【「20」にまつわる物語】

 話をそのまま全部信じると、彼の人生は20歳になると終わってしまうらしい。生まれてから20歳までを生きると、そこで死がやってくる。死ぬときは別にこわくもなければいたくもないかなしくもないといった。今は何回目の20歳なのと聞くと勿体ぶって口に指を当てしばらく黙っていたけれど、20回目と答えた。それから、どうなるんだろうねとさっきと変わらない声でいって笑った。
 どうして突然、自分に声を掛けたのと聞きかけて〈20回目〉を思った。彼の話がすべて本当なら、「今が最期だから」なのだろうか。そんな答えが返ってくるのは明白な気がした。声を掛けたい理由の為にそんな話を作っているのかもしれないと少し思って、もしそうだったのだとしたらどれほど喜べばよいのだろうと鼓動はさらに速まった。
 こころに浮かんだ質問がまるでテーブルの中空に浮かんでいるのが見えているように彼は目だけで笑ってみせた。声に出せない質問を飲み込んで咽かえりそうになるのを堪えながら、誕生日はいつなのと代わりに聞いた。来週の今日、と彼は答えながらうどんの汁を吸って先の色が変わってしまった割り箸を2本まとめてくるくると指で回してみせた。
 20歳を20回繰り返したってことは400歳だ、すごいね。そんな馬鹿みたいな返事しか出来なかった。でも彼は満足そうな顔をして、そう400歳だよ、すごいよねと真面目な顔で割り箸を器用に回し続けながら頷いた。

 次の日の昼、学食でまた彼と会った。昼までの授業のどこかで会えるかと思いずっときょろきょろしていたけれど姿は見えなくて溜息をしながら学食に足を運んでみると、昨日と同じ席で同じものを食べていた。自分もまた同じものをお盆に乗せて彼の向かいに座った。わたしが向かいの席についても彼はうどんを食べ終えるまでは何も話さずただ食べることに集中していた。神妙な顔で白い麺をすする彼の姿が何だかとてつもなく愛おしいものに見えた。そんな気持ちが自分のどこから湧き上がってくるのかわからなかった。今までそんな気持ちを抱えたことは一度もなかった。
 じっと見ていると目の色が焼けて変わってしまいそうでこわくて、自分もお椀のなかのうどんに意識を集中した。笑い声や誰かを呼ぶ大きな声に囲まれながらも二人がすするうどんの音しか自分の耳には入ってこなかった。
 ごちそうさま、といった彼の少しあとに食べ終わり、同じようにごちそうさまと小声でいうと、また会えたねといって彼はうれしそうに笑った。授業中もきみのことを探してもう会えないのかと肩を落としてここに探しに来たのといったつもりだったけれど、わたしの口から漏れたのは、ね、の一言だけだった。ふいに言葉を無くした人魚姫の話が頭をよぎる。言葉が気持ちに追いつかない、もしかしたら自分はそのうち泡になってしまうのかもしれない。
 それから彼の誕生日を迎えるまで、大学があるときはどこかの授業であるいは学食で毎日彼と顔を合わせた。今まで構内で会っていなかったのが本当に不思議だった。いつも短く言葉を交わすだけで特別なことは何も話さなかった。けれど、短くても一緒にいられる時間がうれしくて仕方なかった。

 7日後、それが彼に会う最後の日になるとは思っていなかった。

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