小説

『わすれる』伊東亜弥子【「20」にまつわる物語】

 小窓から見える炎のなかで舞い上がり次第に小さくなっていく自分の体。そのなかにあったものは何も残らない。美味しかったものも、誰かに触れた温かさも痛みも、小さな頭蓋骨のなかに詰まっていたたくさんの記憶も。でもそれは確かにそこにあったものだ。この炎の熱さを感じることはもう出来ないけれど、何となく鼻の下に汗をかいているような気分になる。もうわたしはどこにもいないのに。ゆっくりと終わっていく体とこころの真ん中で思い出したのは今の今まですっかり忘れてしまっていた昔のことだった。

 何回も生きかえるねこの話あるじゃない、知ってる?あれ、ぼくがモデルなんだよ。
 授業が終わって立ち上がろうとしたとき、急に振り返ってにこにこしながら彼はそういった。驚いたわたしはただぼやっと口を開いてはぁとため息のような一言を出すのが精一杯だった。生きかえるねこの話というのを知らなかったし、突然声を掛けられたことに対しても全く頭が働かなかった。けれど彼はそんなことなど意に介していないようで、お腹空いたよね、学食行こうといってこちらのことは伺いもせずに立ち上がり、教室の扉に向かって歩きはじめた。あんぐりと口を開けたまま、彼の薄い肩をわたしは何秒か見つめた。それから腰を上げてその後ろについていった。そのまま見送ってもよかった背中を、わたしはそうしなかった。
 学食に行くと当たり前のことながら人が多くて耳に入ってくるいろいろな会話に圧迫され押し潰されるようだった。学食に食べに行くことは滅多になかった。行ったとしても朝早くの人が少ない時間か、閉まる間際のやはり人気のない時間ばかりだったのでこんなにも賑やかな学食というものがあったのかと思った。
 賑やかな騒々しさのなかで彼は迷いのない足取りで麺類のカウンターにお盆を持って進み、わかめうどんを頼んだ。わたしも同じものを注文した。うどんを受け取り、入口近くの空いている席に向かいあって座ったとき、ようやく彼の顔をしっかりと見た。
 さっき、ねこという言葉を聞いていたからというわけではないけど何だか目がねこみたいだった。窓から入る昼の光と、天井の蛍光灯の光を取り込んだ目は大きくなったり小さくなったりして見えた。うどんを食べ終わるまで互いに何も話さなかったけれど不思議と気まずさはなかった。ごちそうさまでしたといって合わせた手を離すと、彼はまた話しはじめた。
 ぼくね、20回生き返れるんだよ。100万回には届かないけどすごいと思わない。
 そういってにこりと笑う彼を訝しがりもせず可愛いと思ってしまったのは、もうそのときには彼のことを好きだと気付いてしまったからだ。嘘か本当かわからない、冗談なのかもしれないその話を掘り下げるでもなくふぅんそうなんだ、とどきどきと鳴って止まない胸の平静を装うように真顔で返した。
 驚かないの、と彼の方が驚いたような顔をした。曖昧に頷きながら20回生き返った後はどうなるの、と何の気はなしに聞いてみた。彼はどうなるんだろうねといって笑ってみせただけだった。

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