小説

『ふーけつのひと』堀部未知【「20」にまつわる物語】

 しばらくして、葉っぱの雨粒がポロリと落ちるように風子は言った。
「・・・あなたが好き」
 僕はたまらずドアを開けて風子を抱き寄せた。強く抱きしめると、春風のようなおならがもれた。
「好き」
「僕だって」
「でもわたし、同じ場所には居られない」
「どうして」
「わたしの身体は地球と直結してるの。マグマの熱も、蒸気も、有毒なガスも、地球はわたしを通して吐き出してる」
「まさか。ただのおならだろ」
「止めることはできないの」
「病院で診てもらおうよ」
「何度も診てもらった。どの先生も口を揃えて言ったわ。あなたは少し風通しがいいだけなんだよって。そんな診断ってある?どこにいたってわたしはイジメられた。学校も就職も諦めた。おしゃれな服も、静かなバーもわたしにはムリ。政治家にも、女子アナにも、普通の主婦にもなれない」
 風子のたたみかける言いかたに僕は笑ってしまったけれど、風子の気持ちを思ったら、すぐに悲しくなった。
 「わたしは噴火口だから、誰も近づいてはいけないの。それなのに、あなたを好きになった」
 そう言うと風子は駆け出していった。
 後を追って表に出ると、風子は木蓮の下で身を震わせていた。涙とともに、激しい地球からの風を吐き出していた。
「14、15、16」
 自分が吐き出す風を、風子は声に出して数えた。
 そして困り顔の僕を、風子は怯えたように見ていた。排泄する犬のような切ないその目を見ていると、僕は自分がひどい人間のように思えて、風子と同じだけの恥ずかしさに包まれたかった。同じつらさに身を置きたかった。
 沿道をゆく柴犬も、風子の吐き出す風に振り返って、懸命に鼻を寄せようとした。
「17、18、19」
 満開を過ぎた木蓮は、風子の風にあおられて、レンゲのような大きな花びらを、沿道に一枚一枚散り落としてゆく。
「わたしがギターをはじめたのは、自分の音を消すためだった。でもそのうちに、自分の気持ちを歌にする喜びを知って、わたしは救われたの」
 黙って寄り添うだけの僕に、風子は涙を拭いてつぶやいた。
「花びらが一枚や二枚落ちたって、その枝はまだ、自分が枯れてしまうなんて思いもしないよね。また花が咲いて、葉を茂らせて、実をつける。みんなそう思ってる」

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