小説

『二十を数えたらね』室市雅則【「20」にまつわる物語】

 いつからであったか覚えていない。気付いた頃にはできるようになっていた。
 子供の時分には得意になって家族の前でやっていたが、歳を重ねるに連れて自然とそれを見せる場面も少なくなり、ついには消滅した。
 高校生となり、初めてアルバイトに申し込んだ時の履歴書に『特技』の欄を見て久しぶりに思い出したくらいだ。
 果たして、それを『特技』と言って良いのか分からない。『一発芸』の方がしっくりくるかもしれない。だが、例えば、それを会社の宴会で披露しても盛り上がるかどうか不安があるし、最悪の場合は出世に響くかもしれない。
 何だい、それは?と諸賢はお思いだろう。勿体ぶっていたり、値打ちをこいているわけではなくて、少し恥ずかしいのだ。では、何故今になって、こんなことを申し上げるのかというと、娘がついに二十まで数えられるようになったからである。そして、妻にさえ見せていないそれを彼女に見せた。

 皆さんの多くは、きっと指を折って十まで数えることができるであろう。私の娘もつい最近まで紅葉のような手を広げて、指を折って数えていた。
 「十を数えたらね」
 風呂に入ると必ず私は娘にそう言っていた。何故なら、彼女はどうも風呂が嫌いらしく、いつも烏の行水よろしく、肩までさっと浸かっただけで終わろうとするのだ。体は石鹸で洗っているし、シャワーは浴びているので衛生的に問題はないのだが、体を温めて欲しいし、何より私が娘と一緒に風呂に入ることに幸せを感じるタチなので、彼女の意向と折衷して「十」を数えさせていた。
 ほんの少し前までは、「いーち、にー、さぁーん」と私が誘導し、彼女も指を折らなくては数えられなかったのだが、子供の成長の速さは侮れないもので、あっという間に一人で数えられるようになった。だが、その速度は「い、に、さ」のように非常に簡素に済ませているので実質、五秒程度で終えてしまう。だから、「もう一回」とアンコールを求めることが常になっていた。
このような些細なコミュニケーションで、日々の疲れが癒えていたのもつかの間、娘は
もう二十まで数えることができるようになったという。嬉々と数え、私に数字を教えてくれた。
 「二十を数えたらね」と伝えるとまず十まで指を折り、次の二十までは折った指を伸ばした。とても可愛らしかった。これで私はもう十秒長く一緒に風呂に入れるのだ。
 気分が良かったせいか、ここで私は例の『特技』について思い出した。
 折しも風呂場にいたので、先述したように娘が二十を数えた後、私が切り出した。
 「お父さんも二十を数えるから見てよ」
 そう宣うと私は手を湯船から出し「いち、に、さん」と指を折って数え始めた。ここまでは万国共通、遍く行われている仕草だと思う。

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