小説

『台風の向こうがわ』藤野【「20」にまつわる物語】

 玄関の扉の向こうからびょうびょうと通り過ぎていく風の音が聞こえる。深呼吸をして、一気にドアを押し開けた。呼吸ができないくらいの雨が僕の顔に吹きつけてきて海の中にいるような気分だった。着ていた服はあっという間にぐちょぐちょになり、傘は何の意味もないものになった。怖くもあったけど、どこへでも僕自身が広がっていける気がして自由ってこんな感じなのかなって思った。泳ぐように僕が給水塔にたどり着くと、たたんだ赤い傘を手にしてカッパを着たゆっこが1人で待っていた。ゆっこはどれくらい前からここに立っていたんだろう。白い顔に濡れた髪がはりついて、唇も少し青ざめている。
「あれ?リョウは?」
 ゆっこがわからないと言って小さく首をふる。すでに約束の時間は過ぎているはずだ。しばらく黙って僕の方を見てから、ゆっこはポケットから給水塔の鍵を取り出してうなずいた。
「出発だね」
 不思議とリョウを置いていくことの罪悪感はなかった。
 リョウが見つけた穴を抜けて中階段の前に来ると、鍵をゆっこから受け取って扉を開けた。ゆっくりとオレンジの明かりで照らされた螺旋階段が目の前に現れた。真っ暗な夜の中にあふれ出たその明かりは特別な場所へ続く秘密の入り口のようで、僕たちはお互いうなずきあってから階段を登りはじめた。塔の中で僕らの足音が響きあい、どこまでも一緒になって踊りながら塔のてっぺんの先へ先へと登っていく。団地の4階と同じくらいの高さだからそんなに長い道のりではないはずなのに永遠みたいに感じて、ふと、時間もらせん状になって流れているんだと、どこかで聞いた話を思い出した。だとしたら、この螺旋階段はきっと過去か未来に繋がっているんだ。僕がたどり着きたいのは一体どこなんだろう。未来はすごく広すぎてどこを目指してたどり着いたらいいのか分からないし、過去はどこを選べばいいのか分からない。ただ、どの場面にも夕日を浴びて輝く給水塔の姿が必ず頭の中に浮かんできた。ものすごく小さい頃から僕の記憶の中心には給水塔が立っていて、それは中学生になっても、高校生になっても、大人になっても一生変わらないのかもしれない。
 ようやく登りきって、目の前に現れた扉を開けようとしたけど外から押さえつけるような風圧に僕1人では歯が立たなかった。ゆっこが、僕を支えるように手を伸ばし、せーので、息を合わせて2人で一緒に押しあけた。
 目の前に、台風の向こう側の世界があらわれた。
 朝が来たのかと思うくらいきらびやかな明るい空が僕らを迎えてくれた。あんなに降っていた雨がやんで雲が晴れて、大きな月に照らされた群青色の空とたくさんの星が広がっていた。
「きれい」
 ゆっこが呟いた。その声を聞いて、僕がもう一度訪れたい時間を思い出した。 
 小さい頃、家のベランダから給水塔を眺めたときの記憶だった。オレンジ色の光の中にすくっと立つ給水塔を眺めている僕の後ろで、きれいねぇ、と笑っていたお母さんの声。そしてその横に立っていたお父さん。
「今日はお父さんとお母さんの20回目の結婚記念日になるはずだったんだ」

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