小説

『点滅する夜』森な子【「20」にまつわる物語】

 よく覚えている。私は中島さんにもらったシャンディガフに口をつけながら頷いた。ビールよりもだいぶマシだがまだ苦い。
「あの時のあなた、悲しくてたまらない!って顔でわんわん泣いてて、私、正直少し怖かった。でも春になった途端けろっとした顔でまた学校にきて、クラス替えの紙をみて、中島さんとまた一緒だ、嬉しい、って笑ったの。私、拍子抜けしちゃったわよ」
「中島さんと一緒のクラスだったのが、本当に嬉しかったのよ」
「いや、そこじゃなくて」
 中島さんは、困ったな、という顔で笑った。
「でも、そんなミライももう二十歳かあ。すごいね。嫌な気持ちにならないでほしいんだけど、なんだか、神様が寿命を延ばしたみたい」
「そう、本当にそうなの。私ね、中島さんが私にずっとやさしくしてくれていた時、頭のてっぺんから釣り糸で引っ張られているみたいな状態だったの」
「なあにそれ。地に足がついていないってこと?」
「まあ、そんなかんじ。笑っちゃうかもしれないけれど、なんだかね、ずっと誰かが、おーい!って呼んでいるの。こっちへおいでって私の手を引くの。あのね、私、この世には目に見えない。大きな何かが絶対に存在していると思う。私、今はそういうものを感じることって全然ないけど、でもあの時はずっと近くに感じていた。それで、そういうものから救ってくれたのが、中島さんだったりしたんだよね」
「目に見えないなにか、かあ。お化けとかは?見たことある?」
「それが、ないんだよね。見てやるぞ!っていつも思っているのに。わざと墓地の前通ってみたりもしてるのになあ」
「見てやるぞ、って意気込んでる人の前には、お化けも出てきづらいんじゃない?」
「そんなもんなのかなあ」
 隣の席で赤ら顔のおじさん二人が楽しそうに笑っている。みんな、明日はお休みなのだろうか。それとも、休みじゃないのに夜更かししているのだろうか。いずれにせよ、私が今までずっと感じていた夜の静けさのなかで、こういう風に愉快に笑っている人たちがいる、という事実が、なんだかとても愛しく思えた。
「二十歳になれて、よかったなあ」
 私がしみじみつぶやくと、中島さんはやっぱり優しく笑って「よかったねえ」と言った。
 中島さんも、よかったね、と思った。中島さんだけじゃない。隣で大口開けて笑うおじさんも、眠そうな顔の店員さんも、もくもくと料理を作るキッチンの人も、今この瞬間、自分の家で眠っている人たちも。明日の朝起きてごはんを食べて、外に出たり、家でのんびりしたり、そうやって過ごせるすべての人たちに。よかったね、と心から思う。
 世の中には、目に見えない大きな何かが絶対に存在していて、それは中学の時の私をひどく混乱させたりもしたけれど、まったく逆の作用をすることもきっとある。私はそれを、きっとよく知っている。
 だからどうか、そういうものとダンスを踊るように、なんだか愉快に、でたらめなようでとても真面目に、暮らしていけたらいいな、と、冷えたグラスを両手で掴みながら、そう思った。
 私は二十歳になったのだ。

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