小説

『大盛カツカレーセット』加陶秀倖【「20」にまつわる物語】

 しばらくすると、土井君以外は全員食べ終わった状態になった。土井君のペースはあきらかに落ちている。というかすでに咀嚼はしているが飲みこめない状態となっている。わらじとんかつはなんとか一枚は食べきったようだが、もう一枚がまるまる残っていて、カレーのご飯も半分は食べたようだがルーを食べきってしまったようで白米だけが残っている。
「土井、無理しなくていいからな」
 部長が小さな声で言った。大きな声で言うと土井君の沽券にかかわると思った部長の配慮だ。けれども、土井君は聞いているのかいないのか、返事をすることなく、一点を見つめた状態で必死の形相で咀嚼に集中している。水をひとくち飲んで、強引に流し込もうとしても、押し戻されて鼻から少し水が出る始末。
 すでに土井君待ちの状態となっていた。みんなは食べ終わり、雑談をしている。あいた器も下げられている。土井君だけが必死に食べているのだ。
 もうすでに、みんなの注目は土井君から離れていた。完全に離れていた。もっと言えば、みんな土井君を見ないようにしていた。僕も見ないようにしていた。土井君に対してどんな気持ちでいればいいのか分からなかった。
 それからどれだけ時間が経ったか分からない。多分、さほど時間は経っていなかったのだろう。しかし僕には数時間が経過したように思われた。このままずっとこのお店のなかで雑談をしていなければならないような気持ちになっていた。おそらくみんなも同様の錯覚に見舞われていたのだろう。
 と、おもむろに、誰にともなく発した土井君の声によって、みんなは我に返った。
「あい」
 それはたしかに土井君の声だった。まだ口のなかには食べ物が残っており、咀嚼をしながらの発声だったが、たしかに土井君の声だ。
 みんなは土井君を見た。土井君は満足げにコップを傾け、水を口に注ぎながら、カレー皿とラーメンどんぶりを見下ろしている。完食したのだ。土井君は大盛カツカレーセットを見事に平らげた。
「おぉ、土井、すげえじゃん!」
 安藤先輩があおるような声で言った。
「やるなぁ土井、お前、男のなかの男だよ」
 山下が格闘家の真似をしながら場の空気を一層盛り上げるように言った。遠くのほうでも「すごいね」とか「男らしいね」といった声があがっている。もちろん、同じテーブルの森さんや園田さんも、からになったカレー皿とラーメンどんぶりと土井君を見比べるようにして、尊敬にも似た眼差しを送っている。
 土井君は凱旋将軍のように斜め四十五度上方を見つめながら、少し鼻から水をたらし、ゆっくりと最後の咀嚼をしている。右手には水の入ったコップを持ち、口のなかのものを胃に流し込むフィニッシュのタイミングを計っている。
 土井君の偉業にざわめく喧騒のなかで、尊敬にも似た眼差しを送っていた森さんが、あらためてささやくように言った。
「すごい、本当によく食べられたわね」

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