小説

『カサジゾウ、的な何か』柿ノ木コジロー(『笠地蔵』)

 じいさんとばあさんとたんだふたり、冬を越そうとしておりました。

 三人いる息子どもはすっかり身の丈ばかり大きくなってどれも家を出てしまい、年の暮れであろうとも、だれもこんな山奥まで帰って来るようすはありません。
 いろりの上に干した鮎がじりり、とつぶやきます。
「さぶろはよく喰ったにな」
 次の鮎も答えます。「さぶろは、『ろすあんじぇりす』にいるらしい」
 三つ目の鮎は、もう少し事情通のようでした。
「さぶろは、忙しいいそがしい、しか言わねえ。ふぇいすぶくにしか、おらねえ。いちろもふぇいすぶくばかりで、正月にだって帰らねだろし、じろはだんまり決めておる」
 一番ちいさな鮎は、ただうなずきます。「んだんだ」
 じいさんは、はあ、と吐息をひとつ。

 
 どうもいろいろな、細かい声が聞こえてきて、いつも悩ましいのでした。

 どれも自分が脇の川から釣って来た鮎なので、いつまでもしゃべくりかえっているのは、判り切ってはおりましたが、こうまでうるさいとは思いつきもしませんでした。
 ばあさんに一度、そのことを訊いてみたのですが、ばあさんはすっかり腹の中が干し上がっているのか、何か覚悟ができてしまっているのか、ただ
「聞こえねぇ」
 としか、言いません。

 
 じいさんに聞こえる声は、全部がぜんぶではないのですが、様々なものがありました。
 例えば、今朝伐り落としたヤブニッケイの枝が
「いだだだだ、オレ、なんで今切られねばならね!」
 そう叫んだのもはっきりと聞こえておりました。
 だから、隣の畑から『じゃまになるから伐ってけろ』と言われていた桜の大枝も、じつはおっかなびっくり切っておったのです。
 大人の腕ほどもある大枝、いかに大騒ぎするのだろうか、と。
 しかし、桜は案外静かに伐られて行きました。
 あまりのふびんさに、じいさんは小枝を細かくして、脇の井戸水に挿しておきました。
 もしやいつの日か、花が咲くやもしれない、と。

 

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