小説

『三度目の正直』河内れい(『蜘蛛の糸』)

 カンダタは上を向いた。
「……そうだな、お前がいるな」
 声が震えていた。
 やがて、どれぐらい登り続けただろう。闇が薄く、光が濃くなっていく。
「あと、もう少しだ! ちゃんとついて来ているか? パースダー!」
「はい! 大丈夫です! 兄貴!」
 やがて、糸を登り切ったカンダタは、すぐそばにある大きな蓮の葉によじ登った。ふと見るとお釈迦さまが立っていて、片手を岸の方へ向けると、カンダタの乗った蓮の葉は岸へと流れ着いた。
 陸地に上がったカンダタは、すぐさま池を振り返った。パースダーも、いまや蓮の葉によじ登ろうとしていた。
「パースダー! 助かったぞ! 助かったんだぞ!」
 しかしその直後、カンダタは信じられない光景を見た。お釈迦さまが、パースダーを蓮の葉から突き落とし、蜘蛛の糸を切ってしまったのだ。
 しばらくの間、池の表面は醜く泡立っていたが、やがて静けさを取り戻した。カンダタは唖然として池を見つめていた。
「よくがんばりましたね、カンダタ」
 のろのろと顔を上げると、お釈迦さまが満面の笑みでカンダタを見つめている。
「あなたはこれまで、自分だけ助かろうとしたせいで地獄から抜け出すことができませんでした。本当は、チャンスは一度っきりにしようと思ったのですが、仏の顔も三度と言いますからね。あと二度追加でチャンスをあげることにしたんですよ。それにしても、三度目で助かってくれて本当に良かった。あなたが助かってくれなかったら、私の好感度も永遠に回復しなかったでしょうからね」
 カンダタは口をぱくぱくさせている。ふざけたことを言うな、と叫びたいのだが、あまりの怒りに声が出ない。いや、叫びたい言葉はもっとあるはずなのだが、カンダタの魂の中でさまざまな思いがこんがらかって、もし声が出てもうまく言葉にできなかっただろう。
「さあ、行きなさい、カンダタ。あなたはこれから、もう一度人間に生まれ変わるのです」
 お釈迦さまは相変わらず満面に笑みを張り付けて、カンダタを見ている。手は、どこか遠くを指している。
「ぐずぐずするんじゃありませんよ。あなたが前世でやったことを思えば、本来あなたは一秒たりともこんな所にいてはいけない存在です。たった一度蜘蛛を助けたということで助けてあげましたがね。まあ来世ではせいぜい善行を積みなさい。そうすれば、極楽に来ることができるかもしれませんよ」
 カンダタは、絶叫した。その絶叫は、ただ「うおおおおおおおおっっ!!!」という咆哮でしかなかったが、そこには以下のような気持ちがこめられていた。

1 2 3 4