小説

『海の踊り子』洗い熊Q(『羽衣伝説』)

 終わりなく続く黄金丘陵。母は其処へと跳びだし、羽ばたかせ、そして飛んで行くのだ――。

 夕陽は沈み切っていた。まだ名残の様に水平線に赤味が残る。
 夜の帷が下りると、藍色の空の中に星達が輝き始めていた。
 最後に母は、その星達に向かって語りかけていた。両手を広げ見せ、そして願っている様だった。

 後に知る事になるが。
 母は幼少から他国を回る生活をしていた。この国には少ない、世界を知る女性だった。
 何故にこの国に戻ってきたのか。またどうして父と婚姻を結ぶ事になったか。未だにそれは話してはくれない。
 ただ私達兄弟は、その母からの話から世界を知り興味を持ち、夢を抱き、大きく飛び立ちたいと願った。
 母もそうだった筈だ。あの舞いは、水平線向こうに向けたものに違いないと。

 
 油皿の上の灯火が揺らぐ。あの日見た夕陽の様に。
 床の間の灯りのぼんやり昇りゆく熱の波を眺めながら、私は溜息を吐いた。
 ちらりと横目で隣を見れば。
 私の妻となる彼女が恭しく、貞淑な面持ちで坐っている。
 婚姻はまだだが、そう務めるのも当たり前の事なのか。
 男としては――沙汰の限りを尽くしても許されるという状況に心浮つくもない。
 清ました顔。彼女は未だにこりともしない。緩み歪む表情を見たいと思うのはそれが性というものか。
 私はまた溜息を一つ。そのがてらに横に居た彼女を方に顔を向けた。
 じっと見る、微動だしない端正な彼女の横顔。私に視線を向けない。俯いた感じだ。

 ――ふと、彼女の舞いが頭を過ぎった。
 悲しげな舞い。あれはただの憂さの現れなのか、溢れ出す寂しさに流されただけなのか。
 いや、恐らくは違う。
 向けられた願い。届けたい想い。
 それがある筈なんだ。そうでなければ、私は彼女の舞いに何の感情も抱かなかった。
 そうでなければ、母の舞いなど思い出さなかったんだ。

 私は力任せに彼女の手を掴んだ。そのまま振り上げさせる。

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