小説

『海の踊り子』洗い熊Q(『羽衣伝説』)

 煌めき輝く広原に大きな一輪の花が開く。
 伸び上がった細い腕は光の中を泳ぎ、そして小さな光源たちを舞い上げていった。

 一瞬で目を奪われた。艶麗な姿に。
 心を掴まれた。打ち寄せる波より鮮麗な動きに。
 引き潮と共に引きこまれている。

 母は海上を回り跳ね回った。海鳥が遊び心を嗜むかのごとく、細い足首を海面に付けては跳び上がる。
 すらりと伸びきる脚。均整の取れた細身ながらの太とも。性としての感情を初抱いたのはその時か。
 羽の様に靡かせていた両腕を、今度は鳥の首如くにくねらせていた。
 悩ましげに、そして今だに降り注いできている夕陽の、煌びやかな橙色の光の粒達を眩しがる。
 一杯にそれを浴びて、精一杯にそれに感謝して。
 顔を上げ見ている表情は影となって見えないが、笑っているとしか感じなかった。

 大抵に婚姻の儀の踊りは悲しげに見える。または妄り矢鱈に陽気に踊るか。
 踊り手の心底の鬱憤か。それが全面に出るのが普通だ。
 ――だが母の踊りは違っていた。
 想いか、それとも願いか。当時の私には計り知れない。

 波打つ光の中で回りくねる母。
 急にそれに飽きたのか、または今がその時だと思い立ったのか。
 大きく足を前に伸ばすと、低く跳び上がる一歩を繰り出しながら夕陽へと向かって行った。
 もう直ぐに水平線にと太陽の尻が着く。海上の波は橙から黄金に変わる。
 その海上の黄金丘陵を滑る様に回りながら進みゆく。
 ――いや母は飛んでいた。大きく羽を広げて舞い上がっていた。
 丘陵のその先の、太陽の逃げる先。
 いや太陽は逃げてはいない。太陽は先を照らしてくれているのだ。まだ続くその先を。
 幾らでも続く海。広がる丸み帯びる雄大な水平線。太陽は照らし続ける。先を、未来を。

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