小説

『桃缶』間詰ちひろ(『桃太郎』)

 声が響くたびに、まどかの緊張は少しずつほぐれていくのが分かった。今までの不吉な響きを上書きするかのように、優しい声色が、そっとまどかの身体を包んでいった。相変わらず、ひどく蒸し暑いことには変わらない。まどかの身体からは、汗がダラダラと途方もなく流れ落ちている。けれど、その優しい声色に包まれた直後、ひんやりとした風がまどかの額をやさしく撫でていった。
「もう、大丈夫」
まどかはそう思うと、柔らかく温かな毛布に包まれた無垢な子どものように安心し、そっと目を閉じたのだった。

 
「あ、目ぇ覚めた?」
 まどかが目を開けると、見慣れた天井と蛍光灯。そして、居るはずのないミツキの姿がそばにあった。
「え? なんで?」 
 まどかは声に出して言いたかったけれど、思うようには頭も身体も動かない。きょろりと目玉をうごかしてみると、ずいぶん眠っていたらしい。カーテンの外はすっかり暗くなっていた。
 昼間、桃の缶詰を食べて、再びベッドに入ったときに比べると、ギシギシとした関節の痛みや身体のだるさは感じられない。どうやら、熱がひいたようだ。
「いい、いい。寝てろって」
そういいながら、ミツキはスッとまどかの額に手を触れた。「さっきよりはマシになってんじゃん。良かった良かった」と、ひとりで頷いている。ミツキの冷たい手のひらは、さっきの感じた、一瞬の心地よい風とそっくりだった。
「……なんか、おればっかり看病してもらってさ。まどかをほっぽり出して遊びにいっても、なんか楽しめないと思って」
 そこまでいって、ミツキは照れかくしのように、「アイス、食っちゃおーっと」と、冷凍庫の扉を開けた。まどかに顔を見られないように隠している。まどかは小さな声で「ありがとう」といったのち、うれしくてニヤついてしまった顔にふとんを引っ張り上げ、こっぽりと被せた。

「桃の缶詰も買ってきたんだけど、家にあったんだな。また明日にでも食えばいいか」
そういいながら、まどかが流しに置きっぱなしにしていた缶詰をミツキは片付けてくれた。

 冷凍庫から取り出したカップのアイスクリームをスプーンですくい「いる?」とスプーンをすこし持ち上げながら、まどかに差し出してみせる。まどかの好きなメーカーのバニラアイスだ。まどかはこくりと頷いて、あーんと口を開けたままで待っていた。その姿をみて、「なんか、鳥のヒナみたいだな」とミツキはけらけらと笑っている。ぐずぐずと溶けはじめたアイスクリームは、ぽたり、とひとしずくこぼれ落ちた。

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