小説

『薔薇のことば』三角重雄(『聞き耳頭巾』)

 四月だ。北国の四月は春は名のみだ。けれども、こんなにいい月だ。でも…、
「俺、どうやって食べていこう…」
 薔薇たちが、
「和人さん、来て。私たちはあなたの色になるわ」
 と、いざなう。
「あたなの心の色のとおり、紫にラメを入れるわ。和人さん、明日の午後、百本のそれを手に、電車に乗って。そこで出会った、あなたが渡したい人に、その薔薇の花束をプレゼントするのよ。」
 そこで和人は翌日、あいの風ライナーに乗った。一人の紳士がいた。この時は薔薇も電車もつり革広告も黙して語らず、何も教えてくれなかった。その代わり、心の中で、和人自身の声が響いた。
「この人だ」
 和人は紫の薔薇の花束を紳士に渡した。紳士は大変喜んだ。名刺交換をした。名刺には守護弘と書かれていた。守護は高名なウェブマスターだった。
 思いがけず和人は、「薔薇作りの名人」として時の人になった。
 三番目に「開発」した品種は、銀の薔薇だった。ある年寄りが和人の銀の薔薇百本を恋人に贈って六十年の恋を実らせ、ネットで更に大評判になった。和人の薔薇は奇跡とともに人の記憶に残った。 
 ネット経由で大きな注文があった。依頼主は、矢郷隼人という有名ダンサーだ。矢郷はダンススクールの校長である。矢郷からは虹の薔薇を注文された。和人は喜んで、大輪の花弁一つ一つが別の色、つまり一花に虹が渦巻く薔薇を作った。スクールの舞踏晩餐会の正面に飾られた館内飾花は大評判。その薔薇は、イギリスからのスペシャルゲストである世界的なダンサーのカップルに大変気に入られ、世界に紹介された。
 気がつけば和人は、教員時代の年収の百倍を稼いでいた。
 出会う人が和人のことを、「山のような存在感の人」というようになった。
 和人は今の家のバラ園を残しつつ、富山市にも三百坪の土地を買い、家を建て、さらに薔薇を増やした。和人の人生は変わった。これを幸せと人は言うのだろう。でも、何か足りない。
「和人さん、何が不足?」
 一番仲良しの古株の薔薇、A子が問う。
「そうだな。ものはいらない。百合子もよく遊びに来るし。君たちのおかげで幸せだよ。不足らしい不足はないのだけど…」
「夢よ。もともと、どんな夢があったの?考えてみて。いいわ。協力してあげる」
 かつての和人にとっての「人生の痛快事」は、学校をやめることだった。やめたからには何か始めたい。そこで薔薇の仕事を始めた。薔薇の仕事は楽しい。それはそこに循環があるからだ。
 老紳士やご婦人、ダンサーや名士、若く貧しい青年。どんなお客にも親切にするのは、和人が薔薇に愛されてきたからだ。暖かな交流の循環には輝きがある。循環、そこに新しい和人の望みがある気がするのだが。
「和人さん、今度の色は?」
 和人の眼が光った。
「分かった。俺は周りの世界をキラキラさせたいのだ。そう、街を輝かす、それが俺の夢だった。えーと…、次の薔薇は…、黄金!」
 ますます心が開かれた。開かれた心に、和人自身の声が響いた。
「俺が探している人も、俺を探している」
 百本の黄金の花束を持って和人は出かけた。
 富山駅の新幹線乗り換え改札から、匂い立つような美しい貴婦人が歩いてきた。肌は白薔薇、瞳には星が宿っている。華奢で粋であり、繊細で優しそうだ。
 その麗人の品のある服や帽子やイヤリングが和人に話しかけてきた。
「和人さん、こんにちは」
 この人だ。
 和人は揺るぎない足取りで歩み寄った。そして、
「こんにちは」 
と、声をかけた。その人は唖然として立ち止まった。
 眼と眼でしばし、会話。
 やがてその人の瞳の星彩が、輝いた。
 星芒は、黄金!

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