小説

『薔薇のことば』三角重雄(『聞き耳頭巾』)

 豊本和人は暗闇から這い出した。
 和人は両手両足で、文字通り這い出した。
 遊びではない。這って出たのは高校の文化祭のお化け屋敷や迷路から脱出したからではなく、這うのが趣味だからでもなく、ましてや金庫破りを仕事としているからでもない。
 世界各地の戦争・災害被災地に潜入し、報道写真を撮って這い出すという格好いい仕事を、和人はやっていない。
 実は和人は、クローゼットから這い出したのだ。
 人間は本来動物だ。心底震え上がったときには退行して四つ足になる。
 では、和人は一体何に震え上がったのか。いや、その前に、和人はなぜクローゼットにいたのか?
 そもそも、クローゼットに入るのは和人の癖だった。およそ癖と名がつくもので後ろ暗くないものはあまりない。その中でもクローゼットに入るというのは、後ろ暗く、かつ恰好悪い癖だ。それは和人も自覚している。でもやめられない。だから、妻の多鶴子と娘の百合子がいる時はこらえている。
 だが、今日はさっきまで荒天だった。だからつい入ったのだ。F高校の教員でありながら学校に行けず、休職して家にいる後ろめたさは、ただでさえたまらない。しかもただの荒れ模様の空ではない。驟雨だ。心が荒むではないか。
 高岡市に生まれ育ち、勉強も「そこそこ」できた和人は、家族が安定をのぞむその望みをなぞって、自分を「そこそこ」に仕立て上げた。つまり県立高校の国語教師になって小市民的家庭人になったのだ。
 もっとも和人にも若い頃があった。若者は夢を持つものだ。したがって、青春の日の和人にも、それなりの夢はあった。しかし、両親はいった。「夢は夢だろう」と。そこで和人は平凡な恋愛をし、ごく普通に結婚した。後はありふれた日常生活を送り、一生を終えるはずだった。
 しかし、和人の中で、夢はくすぶっていた。夢というのは、たとえば戦場に咲く花。雷が轟く荒野で花開く薔薇である。そうでなかったら、荒天の荒波を渡っていこうとする白い鳩だ。少なくとも闇夜に花開く白百合である。
 手放したはずの和人の夢は、和人から捨てられたふりを装って、最も安全な場所に一時避難をした。そこは、そう、和人の心という隠れ家だった。けれどもそこに、夢の大きな誤算があった。出口が塞がれたのだ。和人は、自分の心に頑丈な蓋をしたのである。
 そこで、夢は考えた。
「人は自分では、『自分』に気づこうとしない。『本当の自分』は、常に未来に置かれているから目に見えない。目に見えないものをないものとするのは人間の悪い習性だ。そして人並みの和人には、人並みに習性の力があったのだろう、俺をあっさり手放した。その上、心を閉ざした。ここは和人の心という闇の中だ。光が見えないのは辛い。しかも、和人は俺を忘れ果てようとしている。見果てぬ夢は見ないでいれば見えなくなる。そうやって朽ち果てた仲間はたくさんいる。しかし、俺には我慢できない」

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