小説

『桃太郎と桃子』斉藤高哉【「20」にまつわる物語】(『桃太郎』)

「小さいよ、これ」男が言った。たしかにパツパツ。まあ、今のわたしでも小さいのだから当然だけど。
「後で買ってくるから、とりあえずそれで我慢しろ」
 洗濯機を回し、パンを焼いてコーヒーを入れる。二人分、用意しないわけにはいかなかった。
「旨いな、これ」トーストを齧りながら男が言った。「何ていう食べ物?」
「パン」
「パンか。ふーん」
 パンを知らないのか。まあ桃太郎なら無理もないか。わたしはトーストを齧りながら思った。桃太郎って江戸時代の話だっけ? そこでわたしは、既に目の前の男を桃太郎、つまり拾ってきた巨大桃の中にいた赤ん坊と同一人物であると当然のように考えている自分に気が付いた。
「何で急に大きくなったの?」
「何が?」
「あんたが」
「急にじゃないだろ。普通だろ」
「いや、十分ぐらいしか経ってなかったって」
「三十分ぐらいはかかったろ」
「いずれにせよ早いよ」
 洗濯機のアラームが鳴った。洗濯が終わったのだ。
「あの桃、全部食べたの?」
「うん」
 一時期より改善されたとはいえ、東京の川に浮かんでいた桃を躊躇なく平らげたのは凄いと思う。決して真似したくはないけど。
「まあ、桃太郎だからな」
「パンは知らないけど、自分の名前は知ってるんだ」
「知ってるだろ、普通」桃太郎はトーストの残りを口へ押し込む。「そっちは自分の名前、知らないのかよ?」
「知ってるけど」わたしは口ごもる。名前を訊かれたら最悪に恥ずかしいことになると今更ながら気が付いた。
 桃子。母親がわたしを生んだ直後、桃の缶詰が食べたいと思ったから桃子。「優しく広い心を持った人になれ」と名付けられた弟とは大違いだ。
 幸い、こちらが名乗ることにはならなかった。朝食を終えた桃太郎はテレビを観ながらへらへら笑っていた。それもどうかと思うけど。

   7日目

 さすが、というべきか、桃太郎は当初から鬼ヶ島へ行く気でいた。たぶんDNAレベルでそう宿命づけられているのだろう。猫がチョロチョロ動くものをつい追ってしまうのと同じ感じで。

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