小説

『桃太郎と桃子』斉藤高哉【「20」にまつわる物語】(『桃太郎』)

「桃太郎」状況的に、そう名付けないわけにはいかない。桃から生まれた桃太郎。
 赤ちゃんは突然、わっと泣きだした。火が点いたみたいに、なんて穏やかなものじゃない。大炎上だ。わたしは彼を抱え上げ、上下左右に揺らしたり背中をポンポン叩いたりした。恥ずかしいけど赤ちゃん言葉で呼びかけたりもした。弟の子供にだってこんな大盤振る舞いしたことがない。とにかく、総力を結集してあやした。ようやく彼が泣き止んだ時は酔いも覚め、激しい運動をした後のような疲れに襲われた。
 桃太郎は寝息を立てている。わたしもこのままベッドに倒れこんでしまいたかったけど、そうもいかない。赤ん坊というのはお腹が空けば泣くものだ。残念ながら、うちにはわたしがつまむような食べ物すら碌にない。重い身体を引きずるように家を出て、最寄りのコンビニへ向かった。離乳食の棚を探し当て、とりあえず三食分を買った。
 一体何をやってるんだわたしは、と自問しながら階段を上がり、玄関を開ける。
 違和感。
 わたし瞼を擦り、目頭を揉んだ。
 裸の男の背中があった。それは幻などではなくて、たしかにそこに存在した。
 代わりに赤ん坊の姿がなかった。切り分けた巨大桃も見当たらない。
「おかえり」男は振り返ってそう言った。歳はわたしとそう変わらないかもしれない。
「ただいま」わたしは言った。他に言葉が浮かばなかった。
 男は何か食べていた。手は汁のようなもので光っていた。果物の甘い香りが漂ってきた。

   2日目

 翌日は土曜日なので、いつもより遅くまで寝た。といっても昼まで惰眠をむさぼるなんて愚を犯すことはなく、遅くても十時までには布団を出た。
 昨日は変な夢を見た。身体に疲れが残っている。
 カーテンを開けると、清々しい冬晴れ。洗濯日和。わたしは大きく伸びをした。それから、脱ぎ散らかした靴下や何かを拾いながら洗面所へ向かった。けど辿り着けなかった。台所の床で裸の男が寝息を立てていたからだ。
 溜息が出る。夢ではなかった。男も、桃も。たぶん、契約更新がないことも。わたしはスリッパのつま先で男を突いた。気持ちよさそうな寝顔に腹が立った。
「あれ」口の端から涎を垂らしながら、男が目を開けた。「朝か」
「朝だよ。それ、洗うから返して」そんな風に言いながら、男の身体に掛かっていたバスタオルを剥ぎ取る。
「寒いんだが。何か着るものない?」
 昨日は「サイズが合わないから」とバスタオルを押し付け断ったけど、裸の男がブルブル震えている姿を見るのはさすがにしのびない。だから、クローゼットから衣装ケースを引っ張り出し、さらにその中から中学の頃に使っていたジャージを掘り出した。

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