小説

『桃太郎と桃子』斉藤高哉【「20」にまつわる物語】(『桃太郎』)

   1日目

 なんとなく嫌な予感はしていた。いつになく畏まった担当の態度。いつもはエントランスのソファーで形式だけの現状確認で済ませるのに近くのドトールに呼ばれたこと。予兆はいくつもあった。だから覚悟はできていた。
「来月いっぱいで契約終了ということで」ジャケットを着こみネクタイまで締めた担当が向かいの席で、頻りに汗を拭いながら言った。
「はあ」わたしは言った。それ以外に言葉が浮かばなかった。何がいけなかったのかと考える。考えてすぐに無駄だと思ってやめる。「あの、次のところって」
 担当が猛烈な勢いで啜っていたアイスコーヒーのストローから口を離す。「次?」
「次のところ。どこかありませんかね?」
「あ、ああ、次の。職場ですね」
 はいはい大丈夫探しておきますよと言いたげに、彼は手帳に何かを書きつけた。それが二度と彼の眼に留まることはないのだろうな、とわたしはぼんやり思った。
 オフィスに戻ると、既にそこはわたしがいていい場所ではなくなっている気がした。契約の更新がないことより、そこに漂う居心地の悪さが嫌だった。だから帰り道にはヤケ酒を飲んだ。仕事帰りに一人で飲み屋に入るなんて人生初の経験だったけど、こんな時こそそうするべきな気がした。そうしても許される気がした。
 我ながら結構飲んだ。酔った。このままどこまでも行けそうな根拠のない自信に押され、一つ手前の駅からアパートまでの道をふらふらと歩いた。
 土手の上で足を止める。川向こうを走る高速道路が、ちょっとした夜景を醸していた。道路を照らす灯りだったり車のライトなのだけど、ぼやけた視界にはなかなか煌びやかに映った。
 ふと、眼下に広がる河川敷に眼を移す。こちら側の岸の一角に、何かある。
 目を凝らす。暗くてよく見えないけど、ブイにしては大きい。誰かが捨てた粗大ゴミだろうか。
 いや、あれは――桃だ。
 気付けばわたしは自分の部屋にいて、台所の床に置いた桃を見下ろしていた。
「持ち帰ってしまった……」呟いても、それに対して何か言ってくれるような人はいない。
 とりあえず、水切り籠から包丁を抜いた。桃は「桃の形をした何か」ではなく、手触りからして正真正銘「大きな桃」だった。たぶん包丁を入れることは可能で、大きな桃ということは中には何かが、具体的には人が入っている筈だ。わたしが知ってる川で見つけた大きな桃は、そういうものだ。
 果たして、中には赤ちゃんが入っていた。それも男の子。果汁でヌメヌメしているわけでもなく、むしろ羨ましくなるぐらいしっとりすべすべの肌だった。

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