小説

『過ぎし日の想い』紫水晶【「20」にまつわる物語】

「でも……」
「瑠璃先生」
 いつもの穏やかな表情に戻ると、園長先生は私の両手を優しく包み込んだ。
「最初は誰でもうまくなんてできないものよ。私だって新人の時は酷いものだったわよ」
「園長先生が?」
「そうよ。当たり前じゃない。だけどね、一つ一つ積み重ねていくうちに、少しずつできることが増えていくの。去年できなかった事は今年。今年できなかった事は来年。そうやってちょっとずつ、引き出しが増えていくの。だから、今辞めたら勿体ない。せっかく今年また、引き出しが一つ増えたんだから」
「引き出し……」
「そうよ。だって瑠璃先生、去年まで子どもたちに振り回されっぱなしだったのに、今年はちゃんと自分の意思を伝えられるようになったじゃない。勿論、伝え方に少し問題はあるけどね」
 園長先生が悪戯っぽく笑った。
「だからきっと、来年はもっと上手に伝えられるようになる。私はそう信じてる」
「園長先生……」
「だからここで辞めたら勿体ない! せっかくのチャンスを無駄にする気?」
「チャンス?」
「そうよ。成長するチャンス。辞める事なんていつでもできる。でも、今辞めたら、また同じようなチャンスに巡り会える保証なんてないのよ」
「成長するチャンス……」
「ま、ゆっくり考えなさい。時間はまだ、たっぷりあるから」

 園長先生の言葉を反芻しながらクラスに戻ると、そこには、ひまわり組の子どもたちの姿が大勢あった。私の姿が見えなかった為、ひまわり組の担任が気を利かせ、二クラス合同で保育してくれていたのだ。彼女のさり気ない優しさに、胸が詰まった。
 ひまわり組がクラスに戻った後、席に着いた子どもたちの顔を一人ひとり改めて見回した。
 しっかり者のレオナ、泣き虫のノア、お調子者のケイゴ、のんびり屋のリツ、おませなユリア、やんちゃなコウ……。
「あれ? ルリちゃんは?」
「ルリちゃん?」
 皆が一斉に口を開いた。
「ルリちゃん、どこに行ったの?」
 しばらく沈黙した後、「ルリちゃんって、誰だよ? 瑠璃先生の事か?」と、コウが首を傾げた。
「違うよ。ルリちゃん。ほら、こないだ入ったばっかりの。コウ君の隣にいたじゃない」
「え? オレの? いねーだろ、そんな子。なぁ」

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