小説

『あひるとたまご』或頁生【「20」にまつわる物語】

 おそらく少しだけ複雑だったらしい家庭の事情故か、父方の祖父母と暮らす中、仲間達と一緒に遊ぶ上で欠かせぬアイテムなど、子供心にねだる訳にも行かなかった正晃。
 自転車、野球のバット、そして左利き用のグローブなどが手元に全くない環境では、時にそのストレートさが残酷な小学生社会で自らの居場所に窮してしまうのは、当時も今も変わらなかった。
「成績は1番でも打順は20番目」
 一クラス男子20人が2チームに分かれての草野球、正晃だけは素手もしくは右利き用のグローブを不自然に右手に、ポジションは外野の更に後方で打順も何故か、常に全員の一番最後。
 この時ばかりは机上の勉強の成績など何のその、運動と給食の早食いと喧嘩に長けたガキ大将の独裁が暗黙の了解の中、ボールにも触れられず、更には打順すらも飛ばされる繰り返し。
 集団社会の理不尽さを子供心に受け止めつつ、ひたすら日没試合終了からの現地解散を待つばかり。

 そして哀しいかな、これで晴れて放免とはならず、もう一つの残酷な現実をクリアしない限り、優しい祖父母が待つ木造平屋建てへは辿り着けなかった。
 他の仲間達は皆、当時流行の電飾ウインカー装備のサイクリング車で、颯爽と家路を急ぐも、正晃だけは1キロ以上を駆け足。
 夕闇が迫る中次々と自身を追い抜き、赤や黄色のテールランプを得意気に輝かせつつ走り去って行く同級生達の後ろ姿。
 お蔭で徒競走とマラソンだけは人一倍速い正晃も、ガキ大将の独裁の前に、終ぞリレー選手として活躍する機会も見当たらなかった小学生時代。

 そんな記憶ばかりが蘇るこの公園に、時間を見つけては足を運んでは、突然届けられた、完全に想定外の『甘酸っぱ過ぎる難題』に対する『答え』を探し続けるこの数日だった。
 当時は影も形も見当たらなかった綺麗なベンチに腰を下ろし、柔らかさを日々増し続ける晩秋の陽射しの中、正晃は再びタイムスリップの向こう側へと。

 
 玄関先手前で心臓が爆発手前となったあの日の光景は、40年以上が経過した今も、寸分変わらず鮮明に心と身体が記憶していた。
「医学的には身体の細胞は全て入れ替わっているのに不思議だな」

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