小説

『20時20分のこと』室市雅則【「20」にまつわる物語】

 男の最期がやってきた。
 本人は、その日、その時がやってきたとは知らない。過ぎ去っていった日々と同じく19時くらいにひと風呂浴び、テレビを眺めながら、ちびちびと酒を飲み、出来合いのお惣菜で飯を食って、『20時20分』を待った。
 酒も飯も量がめっきり減ってしまったのでこの頃は一連が早く終わり、ほとんどその時間を待ってばかりであった。街灯の滲んだ灯りが入り込む薄暗い居間で座りながら、すっかり発光が薄くなったとはいえ、いまだに現役のデジタル時計を睨んでいる。
『20時19分00秒』となった。
 そろそろと思い立ち上がろうとすると胸に痛みが走った。
 心臓が鷲掴みにされ、握り潰されているかのようだ。
 苦しい。
 男は倒れ、畳の上をのたうち回った。
 ずっと暮らした家。両親が残した家。その中で自分は死んで行くのだ。転げ回っているこの畳もずっとそのままだから日に焼けているし、ささくれが顔に刺さったが、畳の上で死ねるのなら幸せだなと思った。だが、やり残したことがある。雨戸を閉めていない。
 男は死にものぐるいで雨戸に手を掛けた。足音が男の耳に届いたので、少し痛みが和らいだ気がした。
 何とか最後まで閉め切ろうとするがさらに強い痛みが男を襲い、再び倒れた。
 最後に彼女の顔を見たかったなと遠くなる意識の中で思った。すると男の頭が持ち上げられ、枕のようなものの上に置かれた。そこには温もりがあった。人間の膝の上だと分かった。そして、男の目線の先のデジタル時計が『20時20分20秒』を表示したので、ゾロ目だと思った。それと同時に膝の主を見上げた。
『20時20分』の女。素敵な人が男の目の前に現れた。
 ついに今際の際に彼女がやって来てくれたのだ。やはり彼女は男にとっての素敵な人なのだと思った。部屋が薄暗くて顔はよく見えない。
 時は刻々と進む。
『20時20分40秒』
 死ぬまでにせめて彼女の顔をきちんと見たい。いや、拝みたい。
 三度目の二十歳から四度目の二十歳までの二十年を捧げた素敵な人の顔。
 『20時20分50秒』
 雲に隠れていた月が顔を出し始めた。
 月明かりが部屋に入り込む。
 『20時20分58秒』
 女の顔に月光が届いた。男はその顔をついに目に入れると、口角を少し上げた。男が最後の力を振り絞って出した掠れた声は甲高かった。
 「違う」

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