小説

『20時20分のこと』室市雅則【「20」にまつわる物語】

 十九時くらいにひと風呂浴び、テレビを眺めながら、ちびちびと酒を飲んで、簡単な飯を食って、二十一時過ぎに寝る。これがその男の生活リズム。この数カ月でいつの間にか出来上がっていた。日中だって特にやることはないから、外出もろくにせずテレビが友達の暮らしをしている。
 勤めていた会社からあと五年の再雇用の話があったが、まだまだ元気であるからこそ、自分の時間を大切にしたいと思い、数ヶ月前に定年で退職をした。
 とはいえ、何もせずに暮らせるほどの余裕はなく、年金の受給はまだ先だった。だから、自身の定年記念として一人旅行に出かけ、その後にアルバイトを探すためにハローワークに通い始めた。
 還暦を迎えた時、二十歳が三回分だなと自嘲めくような陽気な一面もあるのだが、その冗談を聞く家族はいない。結局、一度も結婚をしなかった。無論、交際相手がいた時には考えたこともあったし、両親が存命時に見合いの話もあったが、どれも縁が無かった。
 そのチャンスはあったはずだったし、きっとこの人はと確信をしていても、ついぞ結ばれなかった。いつも似たようなことを言われて関係は終わっていた。
『あなたにもっと素敵な人がいる』という意味のことを申し渡されてしまうのだ。
 浮気も夜遊びもしておらず、まったく心当たりはなかった。だが別れを切り出された時点で興醒めしたし、その段階に至っているとこちらが『あなたより素敵な人はいない』と言っても詮無きことだった。ただ『あなたとはもう無理』とかキッパリ言われた方が気持ち良いのになとは思った。
 だから、今でも生まれ育った家で一人暮らしをしている。

 両親が建てたこの家が両親と同じく終の住処となる。それも悪くない気がした。父と母に孫の顔を見せられなかったのは申し訳なかったが、自分の人生を何の不自由もなく過ごせる環境や財産を残してくれて感謝しかなかった。でも、ここに妻がいたら大理石のように冷たい布団に潜り込むと足元から伝い上がる一抹の寂しさも和らぐのだろうかと『もしも』を今でも夢想することがあった。

 家に関して、住めば都というが会社勤めをしている当時は、そう感じることはなかった。駅まで歩くことはできず、原付を利用せねばならなかったし、酒を飲んでバスを使うにしても最終便が早いので、気忙しかった。調子に乗ってそれを逃し、タクシーに乗ると三千円近くなり、これでもう一軒行けたのになと臍を噬むことも多かった。
 ただ現役を退き、マイペースに暮らしていると、山が見え、海は近くにある風光明媚なこの土地も悪くないと住んで半世紀後にようやく都を感じていた。

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