小説

『蜘蛛の祈り』川波静香(『蜘蛛の糸』)

 ある雨上がりの朝のことだった。蜘蛛は目を醒ますと青く澄みきった空を見上げて大きなため息をついた。
 今日の空の色は、まだ自分が極楽にいたころいつも見ていたあの空と、どこか似ているな――。
 蜘蛛が地上に降りてきたのには理由があった。
 蜘蛛が極楽にある蓮池のふちに棲んでいたときのことだ。池のふちに佇んでいたお釈迦様が、あるとき、一本の蜘蛛の糸を手に取り、遥か下にある地獄の底に向かってまっすぐに下ろし始めた。地獄で苦しんでいるひとりの人間をそこから救い出そうとしたのだった。
 蜘蛛は蓮池のふちでその様子を見守っていた。
 ところが、糸は途中で、突然、ぷつりと切れてしまった。あと少しで極楽に入れるというところで、その人間は、真っ逆さまに地獄の血の池の中に落ちていってしまった。
 蜘蛛は糸が切れたのが、自分のせいのような気がしてならなかった。
 もしも、あのとき自分の出した糸が、もっと太くて丈夫だったなら……。
 蜘蛛は自分の非力さを悔やみ、非常に苦しんだ。
 お釈迦様はあの人間を救い出そうと思し召したのに、糸が切れたあと、見捨ててしまわれた――!
 蜘蛛にはお釈迦様の御心が理解できなかった。そしてもうこれ以上、お釈迦様のおそばで安穏に暮らすことができなくなってしまった。それで地上に降りてきたのだった。
 久しぶりにやってきた地上の暮らしは厳しいものだった。極楽にいたときとは違い、蜘蛛は常に強い空腹を抱えていた。
毎朝のように蜘蛛は日の出とともに早起きし、巣の中を見回った。巣は夜の間に風に煽られ、切れたり穴が空いたりしている。たとえどんな小さな穴でも、蜘蛛は破れたところを見つけると、素早くその場所に行って一生懸命繕った。そして、獲物がかかるのをひたすら待ち続けた。
 けれども、蜘蛛はどうしても、巣にかかった獲物を殺すことができなかった。糸に絡んでもがき苦しむ虫たちの姿を見ていることに耐え切れず、多くの場合、わざと獲物を逃がしてしまった。
 逃れた獲物はちぎれた羽根や、ぎざぎざした脚の一部などを残して飛んでいく。蜘蛛は半ばほっとした気持ちになって、そのわずかな置き土産を日々の糧にして空腹をしのいでいた。
 蜘蛛は自身が肉食であることに強い憤りを感じた。生涯こんな生き方をするしかないのだろうか。心の中に葛藤が生じていた。

 巣の下にできた水たまりには、青く澄んだ空の色がきれいに映っている。
 水たまりの中央に一枚の木の葉が浮かんでいた。その上に小さなアリが一匹、困り切った様子でしゃがみ込んでいた。
 その姿を眺めているうちに蜘蛛は、自分の糸を使ってこのアリを助け出すことができるかどうか、やってみようと思い立った。もし成功したなら、自分も救われたような気持ちになれるかもしれない。

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