小説

『ミス鼻子』中村一子(芥川龍之介『鼻』)

「え、何?」
 背中で真実の声がした。
「ううん。なんでも……」
 まさかブタを相手に悪態を吐いていたなんて言えるわけがなかった。
 戻って数日後、彼女の両親からクール便で自家製のウインナーとハムが届いた。鼻子の父親は「こんな美味いものがもらえるんだったら、毎年、夏は真実ちゃんの家に遊びに行ってこい」と人の気も知らないで、鼻の穴を膨らませて喜んだ。鼻子はブタの顔が目に浮かんで、それから豚肉が食べられなくなった。

 それと同じ日だった。鼻子の鼻の頭にブツブツが出来てきたのは。はじめのうちは思春期のニキビだぐらいに思って、市販の軟膏を塗っていたが、徐々に小鼻の周りが赤くなって腫れ始めて、それがかさぶたのように固くなり、そのうちに小鼻の皮膚が盛り上がってきた。
「夏が終わったばっかりだっていうのに、もう赤鼻のトナカイか」
 父がからかい、母は母で
「『源氏物語』に出てくるていうお姫様もこんな鼻をしてたのかね」
 末摘花の赤い醜い鼻を持ち出してきた。やはりはた目にもそう見えるのだと鼻子は意気消沈した。
 それから赤く腫れた部分がだんだん拡大していった。それに圧迫されて、鼻の穴が小さくなるのならまだしも、鼻の穴は逆に大きくなって、鼻が外へ、外へ膨らむという、超怪奇現象が起きた。
「原因」とか、「生霊」とか言われて、鼻子の脳裏に真っ先に浮かぶのは、いつもその夏の日のことだった。
 真実とはその後、なんとなく連絡が途絶え、それきりになっていた。

 ある日、パソコンに向かっていたときだった。
 画面に形成外科という診療科が出てきた。それまで皮膚科と美容整形しか考え付かなかったのだが、そこに、身体外表の形態異常、醜形、欠損を治療し、正常な状態に戻すというような説明書きがあった。
「これだ!」
 光明とはこういうことを言うのだ。と鼻子は思った。

「確かに通常より、鼻の肉の厚みが3倍弱、鼻腔はそれ以上に大きいですね」
 大学病院の形成外科の、若い男性医師はゼロコンマ1くらいの精巧なメジャーで、鼻子の鼻を盾に横に斜めに測ってから、20代半ばの女性に向かって、そういう恥ずかしいことを平然と口にし、カルテに書き込んだ。鼻子は無言でそのデリカシーのかけらもない医師の次の言葉を待った。

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