小説

『ミス鼻子』中村一子(芥川龍之介『鼻』)

「ボクも入れてみる」
「アタシも」
「ボクも」
 鼻子は立ち上がるきっかけをなくして、子どもたちが次から次へと彼女の鼻の穴に指を入れるのを許容するしかなかった。それも右に左にと2本とか、3本づつ入れてくるので、呼吸が苦しくなる。まるで小人に取り囲まれたガリバーである。が、怒れない。怒ったら虐待で訴えられて、この先どこの幼稚園にも勤務できなくなる。
 一般の会社ではこの醜い鼻で辛い思いをする。そう思って、選んだ職業だ。純真な子ども。が、そんなのは嘘っぱちだ。見よ。この残酷で人をいたぶる快感に満ち満ちたあどけない顔。顔。集団心理の弱いものいじめは、幼稚園ですでに確立され、相手の気の弱さを本能的に察する第六感の鋭さは半端ではない。
「みんな何やってんの!」
 同僚の先生が助けに入ると同時に、休み時間の終わるチャイムが流れ、子どもたちは蜘蛛の子を散らすように鼻子のそばを離れた。子供たちの後ろ姿に向かって、その同僚が「みんなー、しっかりと手を洗うんですよー」と大きな声を投げかけた。もちろんお砂遊び、外遊びをした後なので、手を洗いなさいという意味だったのだろうが、鼻子には子どもたちが自分の鼻の穴に指を突っ込んだので、しっかり洗えと言ったのではないかとしか思えなかった。
 鼻子は洗い場に行って、子どもたちが砂や泥のついた指をねじ込んできた、自分の鼻の中を洗ったのだが、間違って親指が入ってしまい、さらに落ち込んだ。
「どうして子どもたちに好き勝手をやらせるの。怒らなきゃだめでしょ」
 園長はそう言って、鼻子を叱ったが、その園長自身が問題だった。子どもたちに「鼻子先生のお鼻はお遊びの道具ではないんですよ。みんなと同じ、人間(、、)のお鼻なんです。ブタさんじゃないんですよ」なんて言うものだから、かえって子どもたちをあおることになった。それに鼻子には「浅河祥子」というれっきとした名前があるのだが、園長にその自覚はない。
 幼稚園から家までの出勤の間、鼻子はなるべくうつむき加減で歩く。顔を上げたときのすれ違いざまや、電車の車両の中で遭遇する、人の異様なまなざし。鼻子はいつもそれに耐えてきた。人は遠慮を知らない。

 目が小さいとか、口が大きいとかで悩んでいる人が世の中にはいっぱいいる。しかし、そんなものはメークでどうにでもごまかせる。目なんてアイラインを引いて、つけまつげを3枚もつけたら、どんなに小さな目でもおめめぱっちりだ。唇なんか、小さくても大きくても幾らでもファンデーションでごまかせる。しかし、鼻だけはごまかせない。低い鼻を高くもできないし、上に向いてる穴を下向きにすることも、そして、鼻自体を小さくすることもできない。これだけ技術が進んでいるのに、おふざけキャラの付け鼻以外、付け鼻もない。異常ともいえるほど突起して、大きくて、肉厚で鼻孔が広がって、ブタのように反り返っている。こんな鼻で悩んでいる人がいるかどうか、鼻子はネットで調べたが、いない。ショック。

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