小説

『ユア・アイズ』もりまりこ【「20」にまつわる物語】

 もうそれが誰のものでもなくなって、誰でもない地球そのものから借りていたものだと知ってぼんやりする。
 昨日のわだちがそっと夜の帳に塗りこめられて、タイヤの痕がもうどこにもみつからない。あなたの声が、まだそのあたりにあるような気がしてゆびが宙を泳ぐ。宙にあるはずの夜をつかむ。そして地面のあの轍があったはずのその幻の痕に視線を落とす、雪。昨日の雪をみながら雑踏を歩く。

 地面が白に覆いつくされるせつな。雪が降る前にはかすかに匂いがするんですよ。匂い? そうですね、涼やかな水が冷たくなる前の匂いです。
 ドラマなのかドキュメンタリーなのかよくわからない、雑踏の大型電気店のテレビの中の声だけが、歩く速度からとおざかるように声が小さくなってゆく。
映は、いちまいの写真を、鞄のなかに入れて持ち歩いている。写真の中でしか逢ったことのないそのひとに、映はすこしだけ焦がれていた。

 誰かのことを思い出すときに、いちばん先に思い出すのは眼のような気がする。おいしそうなものを前にしたときや、少しだけ話の輪郭がつかめなさそうなときの、視線の泳ぎ方やこころを解放しかかったときにみせてくれた苦悩の
入り口にたっているような眼差しなど。
 雑踏から雑踏を歩き疲れて、たえず誰かとすれ違ったのに、そこに見知った人が、だれひとりいないことがあたりまえであることが、思えがふしぎな現象のような気がしてきた。
 ほとんどの人生をそうやって、ひとは道をあるいてゆくんだなって思ったらじぶんと知り合ってくれたひとはほんとうは、うそみたいな確率で出会ったことになるかもしれないと、あたまのなかをらせんが巡る。

 モノクロのなかにぼんやりと浮かぶ写真から、眼が離せなくなった。
 その人の眼が忘れられなくて。 
 なにかを語りたいのに語る術がわからないといった、そんなまなこをしていた。玄の事務所にあったから、これちょうだい、いらないならって頼んでみた。
 玄は笑いながら、こういう人好きなんや、って興味深げに呟いた。

 だってこのもやっているような眼、好きやと思う。
 逢いたいん?
 逢えんの?
 残念。
 やっぱ、そんなんこわいよね。

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